財布のひもが固い消費者を狙った「ガスト化現象」

横川竟氏は「すかいらーくの3店に1店をガストにして、お客さんが使い分けできるようにしたい」と社内で主張したと振り返るが、すかいらーくは猛スピードでブランドを入れ替える戦略を選んだ。ガストの利益がすかいらーくを上回ったためだ。さらに94年に低価格和食の新業態「夢庵」を出して追い打ちをかけた。

すると、ほかのファミレス企業も低価格業態の開発に注力するようになる。これらは「ガスト化現象」と呼ばれ、外食デフレの潮流を確たるものにした。居酒屋業界でも「つぼ八」のフランチャイズ店運営からワタミやモンテローザが卒業し、財布のひもが固くなった消費者に向けたより手ごろな居酒屋チェーンの展開を始めた。バブル崩壊による都心の地価下落が外食産業の低価格戦略を支えていた。

マクドナルドは「価格破壊」でシェアを拡大

日本マクドナルドの藤田田氏は、95年を「マクドナルド強襲の年」と位置付け、商品の価格を大幅値下げする手に打って出た。デフレ経済で勝ち残るために、「価格破壊」で他社に体力勝負を仕掛けるという決断だった。現代ではソフトバンクグループが得意とするような「肉を切らせて骨を断つ」戦略だ。低価格攻勢で市場シェアを拡大し、定着した頃に収益化を図るというやり方は、創業者の覚悟があってこそなのかもしれない。

この戦略でマクドナルドは他社を圧倒した。95年にハンバーガーを210円から130円に値下げし、96年にはハンバーガー80円セールを実施。21日間で5000万個を売り上げたという。

写真=時事通信フォト
ハンバーガーを59円に値下げしたマクドナルドの店舗=2002年8月6日、東京都千代田区富士見町

さらに98年には65円にするセールを実施。このときは通常店の近くに低コストの「サテライト店」を出して、薄利「多売」を追求した。次々に攻めの戦略を繰り出すマクドナルドに他社はついて行けず、今もファストフード業界ではマクドナルドの一強が続く。

各社が競うように値下げを繰り広げていた97年、日本の外食市場規模は29兆円に上った。後から振り返れば、これが日本の外食産業のピークだった。