川べりにさらされた234もの首

翌日、義盛をはじめ和田方の首が片瀬川の川べりにさらされ、その数234。流罪になっていた胤長も5日後に斬られている。

苦悩を重ねてやむを得ず判断を重ねる、というドラマが描く義時像と違って、自ら仕かけてライバルを一族もろとも滅ぼすなど、殺人合戦がじつに激しい。

しかも、所詮は失脚する父親と違って、義時は徹底していて隙がない。事実上の専制君主として北条氏が君臨する基礎を築いた男。きれいごとで済んだはずがないのである。

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