繰り返される「冤罪殺人」

これ以後、時政は政所別当の筆頭として、まだ11歳(満年齢)の実朝に代わって新恩給与、本領安堵などに関わる公式文書を、自分の名で次々に発給している。

実朝は、政子の御所から時政の館に移り住まわされるのだが、『吾妻鏡』によれば、政子の妹(で夫の阿野全成を殺された)阿波局が、実朝を時政の近くに置いておくのは危険だと進言したため、義時らが連れ戻したという。

しかし、権勢欲をみなぎらせる時政は、実朝の御台所選びに奔走する。選んだのは公家の坊門信清の娘。じつは、後妻の牧の方とのあいだに生まれた娘が信清の次男に嫁いでいおり、時政は実朝の周りを、自分の縁戚で固めようとしたのだろう。

そして時政は、御台所を鎌倉に迎えるための使節のなかに、牧の方とのあいだに生まれ、自分の後継にしようと目論んでいた政範を送ったが、政範は上京後に急死してしまう。

時政夫妻はかなりのショックを受けたようだが、そのあたりからの時政の行動は正常とは思えない。

政範の急死直後、時政の娘婿の平賀朝雅ひらがともまさと、鎌倉から上京した使節のひとり畠山重保が口論になった。牧の方が朝雅の肩をもつと、時政は頼朝以来の忠臣で畠山重忠と息子の重保を一方的に敵視。まず、娘婿の稲毛重成を使って重保をおびき出させると、鎌倉で誅殺。続いて重忠を鎌倉に呼び寄せ、義時らの軍勢が討ち滅ぼした。

しかし、畠山父子はどう見ても冤罪だった。そういう評判が広がると、時政は形勢を挽回しようとして、利用するだけ利用した娘婿の稲毛重成を、重忠を陥れた罪で殺してしまうのである。

「大日本六十余将」より『伊豆 北條相摸守時政』、大判錦絵(図版=東京都立図書館/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

父親以上に冷酷な義時

さながらシェイクスピアの『マクベス』である。国王を殺して王位に就いたばかりに、政敵を絶え間なく殺さざるを得なくなり、ついには自分が滅ぼされるマクベス。時政は夫人にそそのかされるところまでそっくりだ。

『吾妻鏡』によれば、追い込まれた時政は、実朝を将軍の座から降ろして、娘婿の平賀朝雅を立てることを企む。そして、実朝の身柄を確保しようとしたが、緊急事態に政子の判断で御家人たちが義時邸に集結。実朝をそこに移して守った。企てが失敗した時政は出家し、翌日には伊豆に幽閉させられ、二度と復権することはなかった。

この失脚劇が『マクベス』と異なるのは、身内によって追放されていることだ。時政の暴走ぶりを見れば致し方ないとはいえ、実の娘の政子と実の息子の義時によって追い払われたのである。

その後、息子の義時は在京御家人に命じて、平賀朝雅を討ち取らせている。自分の娘婿を将軍にしようと考えた時政夫妻が浅はかなら、すかさず将軍候補を討ち取る義時は冷酷だ。翻弄された挙句、殺されてしまった朝雅が気の毒である。