なぜか皆同じ音楽ばかり聴いている

サブスクの浸透によって、音楽多様性が当たり前のものとなり、「このミュージシャンはどういうことをやっているのか」「これはどういう音楽ジャンルなのだろう」と興味を抱きさえすれば、さほどのコストをかけずとも、かなりマニアックな領域にまでアクセス可能になりました。

しかしながら、サブスクの浸透以降、どういうわけか、むしろ皆が同じ音楽ばかりを聴く、という状況が生まれたのです。そこに収蔵されている音源の数が膨大すぎるがゆえに、別にそこまで新しい音楽を聴きたいわけではない、なんとなく自分にしっくりくる音楽が流れていてくれればいい、といった心理を誘発してしまったわけです。

もちろん、そういう音楽の聴き方をする人は以前からいました。けれども、そうした層が拡張する契機を作ったのは、間違いなくサブスクでしょう。

これは、日本だけの現象ではなく、世界的に見られる傾向です。

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サブスクの「思いもよらなかった落とし穴」

ちなみに近年では、各種音楽チャートにも、サブスクや動画サイトの再生回数が反映されるようになりました。以前のように、単純に「音源が売れる」みたいなことだけを見ていては、もはや現実的ではないので、もっと総合的に「どれだけ世界中の人がその音楽を聴いているのか」を指標にして、チャートを作るようになっていきました。

そしてその結果、ベストテンの半分くらいがエド・シーランになる、というような異様な事態が生まれてしまったのです。

言うなれば、人類には音楽のサブスクをフル活用するのは手に余った、ということになるでしょうか。これを使いこなし、膨大な音源の中を自在に泳ぎ回れるのはごく一部で、多くの人はただ同じ曲をリピートし続けるようにしかならなかったのです。

サブスクによって、音楽というジャンルの、カルチャーにおける地位は、大きく姿を変えた、もっと言えば沈没した、という言い方はやや語弊がありますが、少なくとも以前とは全然違うポジションに置かれるようになってしまった、ということは間違いありません。

そしてこの事態は、サブスクというシステムの、ある種の「思いもよらなかった落とし穴」を契機としていることを、まず指摘しておきたいと思います。