特殊ガラスによる風防室の設置へ
この男は、傷害致死の前科があり、この事件の裁判では、法廷で検事に小便をかけ、判事に唾を吐きかけるなどの狼藉を働いている(刑は懲役1年6カ月)。
いずれにせよ、警備上の大失態だった。しかも、事件はそれだけにとどまらなかった。発煙筒事件が続けて起こったのだ。
これは、第4回のお出ましの直後、お立ち位置から53メールほど離れた地点で、発煙筒に火をつけて投げつけ、そのまま犯人が逃走したという事件だった。皇宮護衛官がただちに発煙筒を踏み消したものの、犯人は取り逃がしてしまった。しかし後日、アナーキスト団体のメンバーとされる犯人2人を逮捕している(刑は懲役4カ月と3カ月)。
新しい宮殿が完成して最初の参賀でこれらの事件があったために、同年の「天皇誕生日一般参賀」では、厚さ10ミリ余りの硬質ガラスの壁が使用され、翌年の新年一般参賀からは、特殊ガラスによる風防室が特設され、その中で国民の参賀にお応えになることになった。
かつて式部官長室の窓にハシゴをかけ、玄関屋根上バルコニーで国民に少しでも近づこうと柵ぎわまで近寄られた昭和天皇のお気持ちを拝察すると、このような形で国民の参賀に応えなければならないことは、さぞや残念に思われただろう。
天皇からの「おことば」が始まる
ステップ7。
一般参賀の際に、天皇がマイクを通して直接、国民にお声をかけて下さることになった。その最初は昭和天皇が80歳になられた昭和56年(1981年)の「天皇誕生日一般参賀」の時のこと。
「今日は誕生日を祝ってくれてありがとう。大勢の人が来てくれてうれしく思います。これからも皆が元気であるよう希望します」
これが一般参賀での初めての「おことば」だった。参賀に集まった人々はシーンとして天皇のお声を拝聴した。そしておことばが終わると一斉に「万歳」を唱えた。この時、私もその場にいて、お声を謹聴した。あの時の情景は今も鮮やかによみがえってくる。