秋篠宮の優柔不断な姿勢は、眞子さんが小室圭さんと結婚するまでの紆余曲折の中で、たびたび指摘されてきた。

眞子さんは、秋篠宮の「多くの国民に祝福される結婚を」という願いさえも無視して、ニューヨークへ旅立ってしまったのに、表立って批判の言葉は口にしなかった。

それが、秋篠宮の広い寛容の心からなのか、長女夫婦とはもはや他人と割り切ってのことなのか、私には分からない。

だが、このところの秋篠宮発言を見ていくと、ある種の“冷たさ”を感じてしまうのだ。

「ゼロか100か、白か黒か」という考えが根底にある

森暢平成城大学教授はサンデー毎日(12/18・25日号)で、秋篠宮の「情報発信」発言を取り上げ、秋篠宮に「本質主義的発想」があるのではないかと書いている。

秋篠宮は会見で、「皇室の情報発信というのも、正確な情報を、タイムリーに出していくということが必要」と語った。

森教授は「発信」という言葉使いが気になる。SNS時代で重要なのは一方的な発信ではなく、受け手との「対話」ではないかというのである。

さらに秋篠宮は、誤った情報には「それは違うよ」と反論することがあり得るともいっているが、一つの事実について反論すると、ほかに書かれていることは全部正しいということになってしまうと危惧してもいる。

しかし、こうした秋篠宮の発想は、「ゼロか100か、白か黒か」というもので、「小室圭さんが母親の『金銭トラブル』に対して文書で説明した時もそうだったが、一方的な説明はいくら詳しくても、逆の効果を持つことがある」(森教授)

ではどうするか? 森教授はこういう。

「粘り強く、繰り返し自分たちの姿や考えを伝え続ける地道な方法を取るしかない」

事実無根の情報を信じる人が100人いたとしても、説得を繰り返し試みる「対話(コミュニケーション)」をしていけば、50人、20人と減らしていくことができるはずだという。

頑固さは「弱さを隠そうとする本能」ゆえなのか

英国では、今年6月の故エリザベス女王の「プラチナ・ジュビリー(在位70年記念行事)」のとき、人気キャラクターのクマと女王が共演する楽しい動画を制作して、YouTubeやツイッターなどを使って拡散させたそうだ。

2012年に開催されたロンドンオリンピックの開会式では、映画『007』シリーズの俳優ダニエル・クレイグと共演し、世界中を大いに沸かせた。

そこまでは望まないが、確かに秋篠宮や宮内庁の考え方は、時代遅れになっているという指摘には頷けるものがある。

そこからは、秋篠宮の見かけによらない頑固さ、悪くいえば人のいうことを聞こうとしない頑なさが透けて見えてくる気がする。