リーダー不在で迷走する安倍派の惨状

それでも安倍氏という後ろ盾があったときは、岸田氏はまずまず良い首相だったと思った。ところが、安倍氏がいなくなった途端にすべてが暗転した。

もちろん、この混乱は岸田首相だけの問題でもないし、責任でもない。まず、安倍派というものがなかば空中分解している。誰しもが認める後継者がいればいいし、そうでなければ、派閥の元会長だった細田博之が復帰してもいいのだが、衆議院議長になっているので無理だ。

安倍氏の実弟の岸信夫氏は体調が万全でない。長老の森喜朗元首相は五輪スキャンダルの真っただ中にいる。将来のホープの福田達夫氏は旧統一教会問題で泥をかぶるには最適任だったのだが、「何が問題か分からない」と軽率な発言をした後は黙ってしまった、などなど頼りない状況だ。

安倍派の面々は防衛費増強を岸田首相に要求していたが、財源について及び腰なのはいかがなものか。戦時の一時的な支出増ならともかく、恒久的に増える支出を国債でと言う経済学はありえない。それなら、民主党内閣の財源論なきマニフェストを批判したのを謝罪しなくてはなるまい。

安倍氏が生きていたら、方向性は同じでもう少し説得的な議論を展開したと思う。そのなかで、稲田朋美元防衛相が増税やむなしと正論を吐いているのは評価したい。

一方、岸田首相もGDP2%を受け入れる前に、増税もやむなしという点について根回しを怠ったのもいかがかと思う。

そうしたことも含めて、岸田氏の足元の宏池会には政策的には有能でも、「お公家さん集団」と言われて、根回しや世論対策で岸田氏の弱さをカバーする人材がいない。

宏池会でも果敢だった非世襲政治家

岸田氏と宏池会の弱さの原因は、世襲政治家に特有なものだ。そもそも、宏池会は吉田茂の派閥を佐藤栄作の周山会と分ける形で1957年に結成された(このほか、親吉田だが独立性が強かった緒方竹虎のグループが石井派となったが、やがて消滅した)。

この派閥は前尾繁三郎、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一、加藤紘一、堀内光雄、古賀誠を経て岸田派になった(2001年に分裂して谷垣派が別に成立)。

宏池会でも、池田勇人や大平正芳といった非世襲政治家は、調整型でなく果敢な勇気ある政治家だった。

(写真左から)池田勇人 内閣総理大臣(写真=Eric Anefo Koch/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)/大平正芳 内閣総理大臣(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

大平正芳は、岸信介によって形成された新安保体制を軍事同盟として確立させたといってよいし、鄧小平を改革開放路線に誘導し、米国が提唱したモスクワ五輪ボイコットに躊躇なく追随した。キッシンジャーが日本の政治家のなかで「彼だけは約束した以上のことをする」と例外的に評価しているほどだ。一般消費財やグリーン・カードの導入など国民に嫌われる増税に初めて取り組んだのも大平だ。

ところが、宮澤喜一元首相や岸田首相、さらには派閥の後継者候補と言われる林芳正外相には、そういう覇気がない。「官僚の言いなり」とか、「中国や韓国に弱腰」という批判が正しいとは思わないのだが、分からないでもない。

拙著『家系図でわかる 日本の上流階級 この国を動かす「名家」「名門」のすべて』(清談社)でもこの二人を取り上げたが、ともに、地元名門経済人で政治家も兼ねてきた一家の出身だ。