父親の「引退」で若くして政治家に

しかも、ほとんどの首相経験者に共通するのは、父親が想定外に若死にしていることだ。このあたりは、『日本の政治「解体新書」:世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)で詳しく分析しているが、小渕の父は54歳、橋本は56歳、岸田と小泉は65歳、安倍は67歳でいずれも現職代議士のまま死去した。

そのおかげで、橋本と小渕は26歳、小泉は30歳、岸田は35歳、安倍は36歳で初当選できた。いずれも、父親が標準的に70歳代半ばになって引退したのち継承していたら、総理になるのは難しかったのではないか。

つまり、平成・令和の日本の政界で総理になる条件は、「国会議員の息子に生まれ、父親が早死にすること」なのだ。

世襲政治家は未曽有の国難に向いていない

そんなことをいっても、世襲政治家、とくに親が早死にしたなどというのが自民党の政治家の多数派ではない。ところが、非世襲政治家からしても、同年配で早く出世するのが能力の高い同僚だと口惜しいし、支持者にも顔向けができないが、親が元首相だったり閨閥けいばつに恵まれている政治家であれば、「あれはプリンスだから仕方ない」と諦めがつくらしい。

永田町は、江戸城の大広間みたいなものだ。徳川時代に大名たちは参勤交代で江戸にいる期間は、だいたい週に一回くらいのペースで登城して、大広間、帝鑑間などという控えの間に集まり、社交を行ったり政治を論じたりしていた。

そして、そのなかで人望がある人が老中などになったのだが、あまり切れ者ぶりを見せつけても嫌われるのが落ちであった。いまの自民党も同じだ。岸田首相は自分の意見を言わないから誰からも好かれた。林芳正外相は経歴からすれば見識はあるはずだが、誰もそれを聞いた人がいないに等しい。

政治家に限らないが、世襲はこれまで通りのやり方を続ければいいだけなら、賢い流儀だ。だが、経験したことない事態に対処したり、改革をしたりするには向かない。

安倍元首相だって、第1次内閣の時は世襲の悪いところばかりが出て散々だったが、その失敗を糧にして人並み外れた努力をしたから大宰相になれたのだ。