「ドラゴンクエスト」には見向きもせず空想地図を作り続けた

――いつごろから、空想地図をつくり始めたのですか?

画像=筆者提供
小学校5年生のときに作成した初期の中村市の空想地図

【今和泉】幼稚園の頃から架空の鉄道やバスの路線図を描き始めていましたが、空想地図をつくり始めたのは7~8歳からです。小学校5年生のころからは、転入生の「中村くん」を巻き込んで互いに地図をつくるようになり、空想地図づくりがヒートアップし始めます。このころつくり始めたのが「中村(なごむる)市」の地図です。

当初は地下鉄を入れたものの、地下鉄が走る都市にしては都市規模が小さすぎましたし、高速道路が都市の中心部に近い場所にあったり、小中学校がほとんどなかったりと、いま振り返ると欠陥が多いですね。他の都市も描きましたが、現在に続く「中村市」は、小学校5年生から高校2年生までの間だけでも第8訂まで描き直しました。

――めずらしい趣味だと思うのですが、親や友達の反応はどうだったんですか?

【今和泉】親は地図づくりをそこまで意義のあることだとは思っていなくて、ほどほど遊んだら勉強しなさいという感じではあったものの、わりと温かく見守ってくれるほうでしたね。

学校でも地図を描いていたので、クラスメイトの目に留まることもありましたが、「なにしてるの?」と聞かれて、実在しない場所の地図を描いているという状況説明をしたら「へぇ~」みたいな。それ以上突っ込まれることもありませんでした。

流行や協調性は気にしていなかったので、当時の男子の共通認識であろう野球とサッカー、ゲームの「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」なんかはまったくカバーしていないんですよ。『週刊少年ジャンプ』や『週刊少年サンデー』の存在は知っていましたけど、中身を見たことは一度もなかったですね。

300以上の地方都市をまわる

――大学生のときに、47都道府県の300都市にも行かれたそうですね。

【今和泉】もともと地方都市へは、行ってみたかったんです。昔から地方都市に行きたいという現実逃避欲求みたいなものがあったのですが、中高生のときは1人で行けなかったので、リアリティーのある架空の地方都市を描いていたんでしょうね。空想地図づくりを目的としていたわけではありませんでしたが、いろいろな地方都市を実際に見てまわって土地勘をつけられたことは、結果的にその後の空想地図づくりにも役立ちました。

――「地方都市に行きたい」という気持ちが、空想地図づくりへのモチベーションになっていたのでしょうか?

【今和泉】おそらくそうだと思います。大学生になってからは、実際に地方都市に行けてしまったので、それから5年ほど空想地図づくりは止まっています。その後、地図とは関係のないIT企業に入るのですが、会社員として働き始めると地方都市に行けないことや会社生活への不満もあり、現実逃避欲求がまた出始めて空想地図づくりを再開していました。IT企業では2年くらい働いて2011年には退職しています。

画像=筆者提供
会社を辞めてからつくった「中村市」の架空のコンビニやスーパーのロゴ