「その頃、教師は子どもたちに『自宅で朝と夜に勉強を教えるから、100ルピー支払いなさい』と言っていました。今の1000ルピー(約1800円)にあたります。この副業をしている限り、教師にとって学校の授業でしっかり教えるメリットがありません。小遣い稼ぎができなくなるから」

「この酷い仕組みを壊す塾を開いて、学費を稼ごう」と考えたソナムさんは大学1年生の冬休み、ラダックの中心地レーにあるホテルを格安で借りて、冬休み限定の塾を開いた。

授業料は20ルピーに設定した。そのお得感からか、塾のポスターを作って町中に張り巡らせると、あっという間に驚くほどの数の生徒が集まった。

授業を始めると、何割かの生徒は明らかに賢く、何割かの生徒は理解度が低いことがわかった。両方の生徒に同じ授業を聞かせても、差がつく一方だ。そこで、最初の40分間はソナムさんが授業をして、その後の30分間はできる子とできない子をペアにして、できる子ができない子に授業内容を教えるようにした。

「ふたつの奇跡」を生んだソナム塾

数週間後、ソナムさんは「ふたつの奇跡」を目撃した。

「ひとつ目は、勉強が苦手だった生徒がとてもできるようになったこと。ふたつ目は、勉強が得意だった生徒がマスターになったことです。私たちの脳には大きなギャップがあります。理解したつもりでも、人に教えようとするとうまくできない。それがギャップです。私たちは人に教えることで、初めて自分のなかのギャップを見つけることができるのです。ギャップを埋め、説明ができるようになると、その教科のマスターになります。この塾で私は、本当の意味での学びは誰かに教えることで得られるのだと知りました」

ソナム塾は口コミで生徒が増え続け、冬休みが終わる頃には、生徒たちからの授業料が3年分の学費をまかなえる金額に達していた。

撮影=齋藤陽道
「風に吹かれるだけの枯れた葉のようになってはいけない。自分の未来は自分で決断するのです」と語るソナムさん。

「もっと大きなムーブメントで学校を変えなければ」

ソナムさんは大学2年生から、希望通りメカニカル・エンジニアリングを学んだ。当時からNITの学生は企業に引っ張りだこで、同級生の多くはシリコンバレーの企業や現在、国際IT都市に発展しているベンガルール(旧バンガロール)の企業に就職した。

しかし、ソナムさんは大学卒業後の1988年、使命感に駆られてラダックに戻った。