「塾で子どもたちに教えたことで、ラダックの学校教育の現実を知りました。私が接した子どもたちは、とても賢く熱心でした。全国共通テストで95%の子どもが落第するのは、ラダックの教育システムのせいだったのです。鏡やレンズは私の恋人でしたが、大学にいても子どもたちの泣き声が聞こえてくるようでした。私は、空虚で無意味なラダックの教育で落ちこぼれていく生徒たちを助けたかったのです」

兄や仲間たちとともに「セクモル(SECMOL/The Students Educational and Cultural Movement of Ladakh)」を設立したソナムさんは、もう一度、全国共通テストを控える10年生を対象にした塾を開いた。それは最初の時と同様に大きな効果を発揮したが、1年経ち、2年経つと虚しさと怒りを感じるようになった。

イメージしてほしい。子どもたちを学校というシステムのなかに放り込むと、壊れた状態で出てくる。塾で必死になって壊れたところを直しても、学校がある限り子どもは壊され続ける。

「そもそも、なんで最初に壊すのか。壊されてから直すのではなく、壊される前に救うことはできないのか」

ソナムさんは「もっと大きなムーブメントで学校を変えなければ!」と立ち上がった。

ここから、革命が始まった。

立ちはだかる言葉の壁

ソナムさんはまず、教育に携わる地域の関係者を訪ねて、「学校には問題があるから、システムを変えたい」と率直に訴えた。

ソナムさんが最も問題視していたのは言語教育だった。

ソナムさんが8歳の時に入った学校ではラダック語が使われていたが、その後、州の公用語であるウルドゥー語の導入が進み、1980年代には1年生からウルドゥー語の授業が徹底されるようになった。さらに英語教育も浸透した結果、8年生になるとすべての教科書が英語で記されるようになっていた。

撮影=齋藤陽道
ソナムさんと仲間たちは「慈善的な助けは持続的な方法ではない。根本を変えるべきだ」と立ち上がった。

「(日常生活でラダック語を話している)ラダックの子どもたちにとって、ウルドゥー語も英語もまったくなじみのない言語です。日本人の子どもたちが学校ではペルシャ語で学ばされ、14歳になったらスペイン語に変わるようなものです。それで何%の子どもたちが、試験にパスするでしょうか? 95%が落第するのは当たり前で、むしろ5%がパスしたことに驚きます。英語は世界共通言語なので、学校で使う言語をラダック語と英語に変更したいと伝えました」