入学から数カ月後、ソナムさんは勉強が得意な本当の優等生になっていた。

「私は自分の経験から学びました。お前は悪い子だ、ろくな大人になれないぞと叱りつけたり、罰したりするよりも、あなたは良い子だ、素晴らしい、もっとできると伝えることが子どもたちを勇気づけるのです。そうして自信や自己肯定感が育まれると、あれこれ指示されなくても、子どもたちは自力で走っていけるのです」

メカニカル・エンジニアを目指す

インドでは、15歳(9年生)から16歳(10年生)で中等学校、17歳(11年生)、18歳(12年生)で上級中等学校に通う。物理と科学が得意だったソナムさんは、17歳(11年生)の時に光学への興味から、メカニカル・エンジニアを志す。

「冬になると母は野菜を地下の貯蔵室に保管していました。そこは、年間を通して15度程度に保たれています。レンズや鏡、反射などの光学を学ぶうちに、もし太陽の光をその温かくも暗い貯蔵室に届かせることができたら、冬でもそこで野菜が育てられると思ったのです」

目指したのは、国立工科大学(NIT)。今や世界最難関大学のひとつとして知られるインド工科大学に次ぐレベルで、全国に31校あるNITのうち、ソナムさんは故郷ラダックのあるジャンムー・カシミール州のシュリーナガル校に合格した。

大学では2年目から専門が分かれる。ある日、父親から「なにを学ぶんだ?」と聞かれたソナムさんは、迷いなく「メカニカル・エンジニアリング」と答えた。すると、父親は眉をひそめた。

「ラダックには、お前が望むようなメカニカルの仕事はないだろう。土木工学に進みなさい」

当時のラダックは工場などひとつもない長閑な農村地帯で、父親の指摘も一理あった。しかし、ソナムさんは譲らなかった。すると、父親は最後通牒を突き付けた。

「もしそれがやりたいなら、やればいい。ただし、自分のお金で。私を頼るな」

ソナムさんは、父親が「ごめんなさい、言う通りにします」と謝ることを望んでいるとわかっていた。しかし、「それなら自分でやります。ありがとうございます」と告げて、部屋を出た。

ソナムさん
撮影=齋藤陽道
普段、世界各地で講演などに引っ張りだこのソナムさん。インドでは著名人。

学校が劣等生を作り出していた

ここでもう一度、インドの教育システムの話に戻る。インドでは10年生の時に全国共通テストが行われ、これに合格しないと上級中等学校に進学できないのだが、当時のラダックは合格率が5%と低迷していた。それは、ラダックの若者の学力ではなく、教師の問題だった。