この学校は開校時からエネルギーの自立を実現しており、あちこちに発電用のソーラーパネルや太陽熱の温水装置が置かれている。

また、コンポストトイレで肥料を作り、それで野菜を無農薬栽培し、食事はソーラークッカーで調理、余った食材は牛や馬のエサになり、牛や馬の世話をしながら、そのフンも肥料や断熱材などに活用するという循環型の仕組みが、授業の主要なカリキュラムとして組み込まれている。

インタビューの場所として案内されたツリーハウスがある樹の下で待っていると、ソナムさんが現れ、にこやかに「ジュレー」と手を合わせた。ジュレーはラダック語で「こんにちは」。彼は、その柔らかな笑顔の下にインドの太陽のような強烈なパッションを持っていた。その源流をたどろう。

ソーラーパネル
撮影=齋藤陽道
太陽光はセクモルスクールの主要な電源。
野菜畑
撮影=齋藤陽道
生徒たちが無農薬、有機栽培をしている農場。
セクモルスクールの建物
撮影=齋藤陽道
校舎の屋根の上でくつろぐ子どもたち。

学校がない隔絶した村に生まれた

一昔前のラダックについては、1975年に現地を訪ねたスウェーデンの言語学者、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジによる『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』に詳しく描かれている。

ヒマラヤの麓にあって標高が高く、中心地のレーも3500メートルに位置するラダックは、地理的要因もあってインド文化から隔絶され、つい50年ほど前までチベット仏教を信仰しながら貨幣経済に頼らないほぼ自給自足の生活が営まれていた。

ソナムさんは1966年、レーから北西に70キロほど離れたウレ・トクポ村で、三人兄弟の末っ子として生まれた。当時5軒しか家がなく、冬の間は数カ月も雪に閉ざされたというこの村もきっと、素朴で長閑なところだったのだろう。