ニューエイジに宿る“内なる神”

幸せを追求するように勧めるメッセージが飛び交っているのは、心理学の領域だけにとどまらない。現代の宗教もまた、自己意識、自己表現、自己実現を最高の善と定める方向で広がっている。

作家であり宗教学者であるロス・ドウザッドが著書『悪の宗教』で私たちニューエイジの“内なる神”を大事にする神学について次のように述べている。「たちまち国境をなくすかのようで、心地よく、エキゾチックな快楽を全て約束してくれる……全く苦痛のない……神秘的な汎神論。

ここでは“神”は人ではなく、経験であり、どの経験にも宿るべきとされている……“内なる神”の文献には道徳的な訓戒が驚くほどない。ここでは、共感や親切が頻繁に叫ばれるが、実際難局にいる人たちへの手引きとなることはほとんどない。ここにある手引きといえば、『気持ち良いと感じるなら、やりなさい』ということに尽きてしまうことが多い」

私の患者のケビンは19歳の時、2018年に両親に連れてこられた。両親が心配していたのは次のようなことだった。「学校に行かず、仕事も続かない。家庭のルールにも一切従わない」

彼の両親は私たち皆と同じように不完全であるが、彼を助けようと一生懸命だった。虐待もネグレクトもなかった。問題なのは、彼に対して制約を設けることができないということだった。彼に何か要求することを、「ストレスをかけてしまうのではないか」「トラウマを負わせるのではないか」と心配していた。

子供を「心理的に壊れやすいもの」と扱うようになった

子供を「心理的に壊れやすいもの」として見るようになったのは本当に最近のことだ。古代では子供は小型の大人と見做され、生まれた時から完成しているものと考えられていた。西洋文明の大部分では、子供は生まれつき邪悪なものと見做されていた。

昔は親やその他子供の世話をする人々の仕事は、この世の中で生きていけるように子供たちを社会化することであり、そのため極端な規律を設けていた。行儀を身につけさせるためだったら体罰や恐怖を与えることも問題なく許されていた。今となっては絶対に許されないが。

今日私が見ている親たちは、子供の感情に傷をつけるかもしれないことをやったり言ったりすることを恐れている。傷つけたら子供が後々、感情的に困難を抱え、精神的な病を患うことになると思っているのだ。