なぜ世界中で抗うつ剤の使用者が増えているのか。精神科医のアンナ・レンブケさんは「現代人は過度に痛みや危険から遠ざけられて育てられてきた。その結果、何の不自由もなく過ごしてきた人たちは、ふとしたきっかけで簡単に精神を病んでしまう」という――。

※本稿は、アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

薬を手に取る女性
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「個人の幸福追求」がもてはやされている現代

2016年、私はスタンフォード大学学生精神保健センターの医師と職員に向かって、薬物・アルコール問題について講演を行った。私がその大学に勤めるようになってから数カ月後のことだった。少し早く着いてしまい、世話役の人をロビーで待っている間、壁に目が止まった。「ご自由にどうぞ」と小冊子が置いてある壁だった。

小冊子は全部で4種類あった。そのどれも、タイトルに「幸せ」という言葉が入っていた──「幸せの習慣」「幸せをもたらす眠り方」「手の届くところにある幸せ」「今より幸せなあなたを目指す7日間」。パンフレットを開ければ、それぞれに幸せを得るための指示が書いてある。「あなたが幸せになれることを50個挙げなさい」「自分を鏡で眺めて、自分について好きなところを日記に記しなさい」「ポジティブな感情の流れを作りなさい」

おそらく、一番情報があるのはこれだろう。「幸せになるためにどんなことがやれるか、それをやる最適なタイミングとその多様性を知ること。いつやればいいか、どれくらいの頻度がいいか知ること。人に対して親切な行為をすると幸せになるというなら、自分に一番効果があるのは、ある日にたくさん善行をすることなのか、毎日必ず1回することなのか。どちらがいいか、自分で実験してみること」

これらの小冊子は、個人的な幸福追求がいかに現代においてもてはやされているかを示している。「良い人生」には他の定義などないかのようだ。他者に向ける親切な行為すら、個人の幸せを追求する一つの戦略として位置付けられている。利他性はもはやそれ自体が良いことなのではなく、「自分の幸福」のための手段になってしまった。

20世紀中頃、心理学者であり哲学者であったフィリップ・リエフは、このような傾向を著書『治療的なものの勝利──フロイト以降の信仰の利用』の中で予見している──「宗教的な人は救われるために生まれたが、心理学的な人は喜びを感じるために生まれる」と。