歴史的景観とはまったく異なる「天守閣」

とはいえ、そんなものが建ったのも致し方ないともいえる。「大阪城天守閣」の建築計画が持ち上がったのは昭和2年(1927)で、「秀吉の天守を復興させたい」というのが大阪市の方針だった。

当時は秀吉時代の天守台は、位置も違えば規模も違うということが知られておらず、そのため「大坂夏の陣図屏風」(大阪城天守閣所蔵、重要文化財)を参考に、秀吉の「小さな天守」を徳川の「大きな天守台」の上に再現するという作業が、大真面目に行われた。

大坂夏の陣図屏風〈部分〉(図版=National Geographic/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

こうして、最新の鉄筋鉄骨コンクリート造で「秀吉の天守」が建てられ、昭和6年(1931)に竣工しゅんこうした。しかし、この「大阪城天守閣」は、なぜか壁面は秀吉時代の漆塗りや黒い漆喰しっくいが再現されず、徳川の天守と同様に白漆喰(コンクリート造なので白漆喰風)で仕上げられている。

平成19年(2007)に外壁を塗り替えた際、天守閣の5重目の塗装のみ豊臣時代「風」に改められたが、余計にちぐはぐな感さえある。

結果として、この「天守閣」は秀吉のものとも徳川のものとも姿が大きく異なるので、秀吉の大坂城を想像するうえでも、徳川によるあたらしい大坂城を思い描くうえでも、大いに邪魔になる。

国の登録有形文化財という皮肉

それなのに、この「天守閣」には別の価値が生じている。すでに国の登録有形文化財にも指定されているのだ。秀吉の天守は建ってから30年ほどで失われ、徳川の天守も創建から40年もたたない寛文5年(1665)に落雷で焼失し、その後、再建されなかった。結局、3代目の「大阪城天守閣」がもっとも命を永らえている。

いわばインチキに価値が生じているわけで、歴史の皮肉というほかない。大坂城を訪れる際は、「天守閣」に見いだされるのは、あくまでも「近代建築」としての価値で、歴史的な景観とはまったく異なることを知っておいたほうがいいだろう。

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