徳川が築いた天守台に秀吉の天守という異様

秀吉が建てた天守は、外壁が黒漆で塗られ、そこに金で装飾した菊や桐の紋の木彫を取りつけ、金の金具や装飾で彩られていた。また、内部も障壁画や彫刻で飾り立てられ、史上もっとも絢爛けんらん豪華な天守だった。

一方、徳川が建てた天守は、派手さでは秀吉のものにかなわないが、石垣をふくむ高さは秀吉の天守の推定約39メートルに対し、58.3メートル。規模で圧倒した。そもそも天守台(天守が建つ石垣)の面積が、秀吉の天守台の約2倍もあった。

また、天守台の位置も、秀吉時代は本丸の北東部にあって、いまの天守の位置からは離れていた。

むろん、秀吉の天守台は埋められてしまったから、いま「大阪城天守閣」が建っているのは、徳川が築いた巨大な天守台だ。それなのに、そこに復元されたのが徳川時代の天守ではないから、話がややこしい。

安倍元総理が起こした論争のズレ

令和元年(2019)にG20サミットが大阪で開催された際、故安倍晋三総理(当時)が「大阪城天守閣」について「16世紀のものが忠実に復元された」が、エレベーターを設置したのは「大きなミス」だと発言。「障碍しょうがい者への配慮が足りない」という批判が相次ぎ、一方で「歴史的建造物を忠実に復元する際、エレベーターをつけるべきではない」と安倍氏を擁護する声も上がるなど、論争になった。

だが、それはズレた論争だった。なぜなら「大阪城天守閣」は忠実に復元されたものではなく、徳川の巨大な天守台の上に秀吉の天守を想像して再現したという、言ってみればトンだシロモノだからだ。