「反セクト法」でもカルト団体の定義はしていない

フランスの反セクト運動の始まりは1970年代半ばで、統一教会の被害を受けた家族が結成した団体がもとになっている。だが、国レベルでセクト対策が必要との認識が高まり、社会で広く共有されるようになるのは1990年代半ば以降だ。そのきっかけとなった事件に、1995年3月に日本で起きたオウム真理教の地下鉄サリン事件も含まれる。

1995年末にまとめられた議会の委員会報告書では、ある団体が「セクト」であるか否かを識別するための10の基準が示された。

「精神の不安定化」「法外な金銭要求」「元の生活からの引き離し」「身体に対する加害」「子どもの加入強要」「反社会的な言説」「公序に対する脅威」「訴訟を多く抱えている」「通常の経済流通経路からの逸脱」「公権力への浸透の企て」である。多くの項目が統一教会に当てはまるものと思われ、参考になる。

ただし、2001年に制定された「反セクト法」では、「セクト」の定義はされなかった。たしかにライシテには、宗教に対して戦闘的な面や、厳格な政教分離の面がある。だが、国家の宗教的中立性や、良心の自由および礼拝の自由の保障も柱にしている。

ライシテの国だから反セクト法ができたと言えるところがある反面、ライシテの国だから「セクト」の法的定義ができなかったのである。ライシテの国家の使命は、一部の宗教団体を「セクト」と規定することではなく、「セクト的運動団体」の逸脱行為を規制することにある。

「反セクト法」は宗教団体を解散させる道具ではない

この法律は第1条で、当該法人が裁判で有罪が確定したときには解散の宣告がなされうると解散規定を定めているが、実は法律制定以来まだ適用されたことがない。

条文の存在自体がセクト的逸脱の歯止めとして機能してきたことは考えられるが、使い勝手よく団体を解散させる道具として運用されてきたわけではまったくない。フランスの「反セクト法」を日本に導入すれば、宗教団体の解散が容易になると考えるのは誤解である。

なお、同法は第20条で「無知・脆弱状態不法利用罪」を定め、身体的・精神的・社会的に弱い立場にある者を不当に利用することを処罰の対象としている。こちらは適用例がある。そこには個人の弱みにつけ込む集団には国家が介入することも厭わないという明確な態度が見られる。

この共和主義的な精神は、ある観点から見れば信教の自由を脅かす宗教弾圧のように映るかもしれないが、別の立場から言えば個人の自由と権利を重視する態度の表れである。

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