古代中国のフィールドは「ドラクエ」だった?

――『古代中国の24時間』を書かれるうえで、アカデミックなもの以外で影響を受けたものはありますか。

【柿沼】あえて言えば「ドラゴンクエスト」でしょうか。私はドラクエ3世代ですから。

――ドラクエ3は私もハマりました。プレイヤー本人である勇者が部屋で目を覚まし、お城の王様から魔王バラモスを倒すように言われて、仲間を集めたり装備を買ったりしてから、冒険に出るゲームでしたね。旅するなかで、だんだん世界の仕組みを体感的に理解できるという。

【柿沼】そうです。前提として、五感を大切に歴史を描きたいという考えがありました。本来、学問の分野では研究対象から距離を置いて客観的に書くことが重視されるのですが、あまりに距離を置きすぎてしまうと、道を歩いたときに何が目に飛び込んでくるか、どんな匂いがするか、何が聞こえるかといった感覚が等閑視されてしまいやすい。

本書は一般書ですので、思い切って自分がワープしたらどうなるかという設定で書きました。そして史料の行間を読むことで、五感の部分も描けるのではないかと思ったわけです。

ちなみに、ドラクエの世界では、街や城のあいだには誰もいない森・草原・沙漠が広がっていて、ときにはモンスターに出くわす。あれは古代中国の街のありかたと、よく似ています。町に囲いがあって、町と町のあいだには強盗がいたり、ゾウ・サイ・トラなどもいる。しかも、当時はお化けもいると信じられていた。

写真=iStock.com/Martin Koebsch
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脚注でしっかりと典拠を示す

――完全にドラクエです。

【柿沼】史実をガリガリと論証してゆくのは、学術論文のなかでプロ相手にたくさんやっています。一方、本書は一般の方に向けて書いたものであって、史実を論証するよりも、むしろそれによってどのような世界がみえてくるのかを説明するほうに重点を置きました。そのため、本文では意識的に日常的な語彙ごいを使って、非常にやわらかい書きかたをしました。ただしそれと同時に、細かく脚注を入れました。

――ここまで脚注を入れた新書は、通常ならばあまり見ません。1ページ目の「いったいいま何時だと思ってるんだ。平旦へいたんだぞ」というセリフからして「『漢書』巻四十四淮安王劉安伝」という典拠が示されています。

【柿沼】前漢の武帝が朝の何時に起きていたか、といった記録は、史料のなかでも非常に断片的な部分になりますから、専門家でも探し出しにくい。ちゃんと出典を示さないと、それこそフィクションとの区別がつかなくなってしまいます。そこで、みっちりと脚注を入れたわけです。中公新書の担当編集者はこの脚注だらけの方針をOKしてくれて、「代わりに本文はものすごくわかりやすくしてほしい」と。結果、本書のスタイルができあがりました。