NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公、北条義時はどのような人物だったのか。作家の羽生飛鳥さんは「有力御家人を次々粛清した冷血漢のイメージが強いが、惚れた女性に1年以上もラブレターを書きづづける熱い男だった」という――。

※本稿は、羽生飛鳥『「吾妻鏡」にみる ここがヘンだよ! 鎌倉武士』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

ヤブサマ射手
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ただ「会いたい」の一点張り…源頼朝は「モテない男」だった

源頼朝(1147-1199)
平治の乱に敗れて伊豆に流され、北条政子と結婚。挙兵して平家を滅ぼし、東国に武家政権を樹立。鎌倉幕府初代将軍となる。

源頼朝は、ご存じ鎌倉幕府を開いた初代将軍。流人でありながら、北条政子という女傑と結婚したおかげで、その実家のバックアップで成り上がり、血の気の多い武士達をまとめ上げ、日本で初めて武家による政権を築き上げた政治家だ。

しかし、『吾妻鏡』を読むと、その印象も変わるだろう。なぜか。

頼朝は、モテない男だったからだ。

政子という優秀な妻がありながら、頼朝の浮気相手は二人ほどいて、そのどちらも名前が判明している。そして、そのどちらからも実際はモテていない。

一人は頼朝の正妻・北条政子に嫉妬され、家を叩き壊された亀の前。彼女は政子を恐れて、頼朝へ会いたくないと伝えた。しかし、頼朝は家を叩き壊された後でも会おうと言ってくる。ただ「会いたい」の一点張りなのである。

ようするに「俺の奥さんから守ってあげることはしないけど、俺が満足したいから、会いに行く」と、ふざけたメッセージを、言葉ではなく態度で示していたのだ。

そういうわけで亀の前は、頼朝に何度も命令されたから渋々会ったという。頼朝、身勝手すぎる。この段階で、もう嫌われているだろ。

兄の未亡人にラブレターを送る

もう一人は、鎌倉の御所で働いていた大進局だ。彼女は亀の前とは違い、頼朝の息子を産んでいた。そのせいか、同じ愛人であっても、亀の前に比べると態度が大きい。

彼女は政子に睨まれ、鎌倉にいられなくなって都で暮らすことになったのだが、その際に頼朝から伊勢国(三重県)にある所領を与えられた。後日、彼女は「頼朝から与えられた所領の保証を重ねてしてほしい」と、要求してきた。もはや頼朝を収入源としか見ていない。

二人の愛人のうち、一人は頼朝とイヤイヤ会っているし、もう一人は金づるという態度がむき出しだ。だが、頼朝のモテない男伝説は、まだ終わらない。