決して危ないバックドロップではない

「本当に普通のバックドロップで、写真を見たら、技にも受け身にもミスがなかった。あれは危ないシーンではなかったと、その事実を伝えなければと思いました」

斎藤さんが三沢さんにかけた最後の技について、雑誌「週刊プロレス(週プロ)」の当時の編集長だった佐久間一彦さんは言い切る。会場にいたカメラマンの落合史生さんの連続写真が、それを示していた。

斎藤さんは、試合の流れを変えるためにこの技を使う。「試合が動くタイミングを逃さないようシャッターを切った。違和感のないバックドロップだった」と落合さん。佐久間さんの判断で、一連の写真は週プロに掲載された。

当の斎藤さんは、どんな厳しい言葉も受け止める覚悟で、三沢さんの死の翌日、09年6月14日に福岡で行われたノアの試合に出た。

試合中、罵声は飛ばなかった。「むしろ、温かい励ましの雰囲気だった。三沢さんのファンは三沢さんの人間性も支持していたと思うけど、その偉大さを改めて感じた」

だが、リングの外は違った。「危険なバックドロップ」「三沢を返せ」――。斎藤さんのインターネットのブログには非難が相次いだ。

三沢から届いた最後の手紙

三沢さんの死から数カ月後。斎藤さんはノアの幹部から1通の手紙を受け取った。三沢さんの知人が、生前の三沢さんとの会話を思い出しながら書き起こしたという。手紙によれば、三沢さんは、試合中の不慮の事故で自分が死ぬ状況を想定し、対戦相手への言葉をのこしていた。

写真提供=読売新聞社
三沢さんの知人が、生前の三沢さんの言葉を思い出しながら書き起こした手紙

 

「本当に申し訳ない 自分を責めるな 俺が悪い」「これからも、己のプロレスを信じて貫いてくれ」

何十回、何百回と読み返して、斎藤さんはその言葉を心に染み込ませた。

三沢さんと共にノアを牽引けんいんした元プロレスラー、小橋建太さんは言う。「必死に闘った中で起きたこと。三沢さんは、斎藤選手の十字架を早く取ってあげたいと、そんなもの背負うなよと、思っているはずなんです」