このノーザン・ソングスは、ビートルズの躍進とともに急成長する。
ビートルズの海外進出に従い、ジョンとポールの海外の著作権についても、ノーザン・ソングスが管理するようになった。海外に子会社をつくって、印税の取り分は、現地が50%の手数料を取り、残りをイギリスに送金して、それをノーザン・ソングスとビートルズで半々に分けることになっていた。
9割以上の高い税率から逃れるため
1965年、設立から2年で、ノーザン・ソングスは株式を公開することになった。いわゆる上場である。500万株が新規発行され、そのうちの125万株が売り出されることになったのだ。ノーザン・ソングスの株は、誰でも買えることになった。
ビートルズがノーザン・ソングスの株式公開をしたのは、例の税金問題が大きく関係している。前述したように、ビートルズは高額所得者であり、当時のイギリスの税制では9割以上の高い税率が課せられる。そのため、なんとかして課税を逃れる術を探っていた。その方策の一環として、株式公開がされたのだ。
株式公開すれば、もとの株主は多額の配当を受けることができる。当時のイギリスの税法では、この配当金には税金がかからないことになっていたのだ。
この株式公開により、ジョンとポールはそれぞれ9万4270ポンド(当時の日本円で約1000万円)ずつ受け取った。すでに億万長者だった当時のジョンとポールにとっては、それほどの大金ではないが、税金のかからない収入は魅力があったのである。
ただジョンとポールは、この株式公開のあと、とんでもない税金対策をしてしまう。
1963年から1966年までにつくった56曲のうち、作家取り分の権利を、ノーザン・ソングスに売ったのだ。
56曲の著作権を1500万円で売却
前述のように、ジョンとポールの曲の著作権印税は、半分がジョンとポール、半分がノーザン・ソングスに行くようになっていた。このうち二人の取り分をノーザン・ソングスに売ったのである。
そのため、1963年から1966年までにジョンとポールがつくった56曲の著作権は、100%がノーザン・ソングスのものになったのだ。
それでもノーザン・ソングスの株は、ジョンやポール、ブライアン、それにディック・ジェイムズという“身内”で持っていたため、それほど危険なこととは思っていなかった。
この売却により、ジョンとポールは、それぞれ14万6000ポンドずつを受け取った。当時の日本円にして1500万円程度である。これもジョンとポールの資産から見れば、大した額ではなかった。
しかし、この売却益には3割しか税金が課せられなかったので、税金対策としては魅力的だったのだ。
後世の我々から見れば「ビートルズはなんてバカなことをしたんだ」と思う。
「ビートルズの56曲の著作権」と言えば、とんでもなく貴重な財産である。ビートルズ・ファン以外でも想像がつくことだろう。しかし当時は、ビートルズの楽曲がそこまで価値が出るとは、誰も思っていなかったのである。