私はアフリカの問題に関して多くの文章を書いてきたから、この主張を補強するようなアフリカ大陸での事例ならいくらでも紹介できる。だがここでは、大英帝国は黒人以外の人種に対しても見境なく非道であった事実を示しておきたい。
中国を見よ。イギリスは貿易収支の帳尻を合わせ、中国に対する優位を守るため、戦争までした。これでも大英帝国は「良性」だったのか。
200年間、インドの住民の所得は増えず
大英帝国の歴史については重要な2冊の著書がある。一方は既に古典的な名著だが、もう一方はまだ新しい。
まずは歴史家マイク・デービスによる大著『ビクトリア朝後期のホロコースト』(2000年)だ。19世紀後半の大英帝国が世界的な干ばつの連鎖に付け込んで、いかに領土の拡大と遠方の異民族に対する政治的支配を進めたかを詳しく記している。
大英帝国が最大の標的としたのはインドだった。悲惨な飢饉が繰り返されていたのに、リットン伯爵やエルギン伯爵のような特権階級のインド総督は大量の食物を輸出して稼いでいた。さらにアフガニスタンや南アフリカなどでの戦費を補うため、植民地に対する課税を強化した。
一方で、貧しい植民地住民を助けようとはしなかった。植民地政府は貧民を、社会にも経済にも無用な存在と見なしていた。そして「死にかけた農民を怠けさせるだけ」の人道支援などは無用と決め付けていた。
デービスの著書は告発状として徹底的に詳細を極める。なかでも強烈な一文を、ここに引用しておこう。
「英国によるインド支配の歴史を要約する一個の事実がある。1757年から1947年までの期間に、インドでは住民1人当たりの所得が少しも増えていない事実だ」
もう1冊の名著はアフリカ学の専門家キャロライン・エルキンズによる新著『暴力の遺産 大英帝国史』だ。こちらは20世紀の出来事に焦点を当てており、エリザベス2世の時代に起きた多くの残虐行為にも触れている。例えばケニアでは、キクユ人を平定するため、彼らを肥沃な農地から追い立て、100万人以上を「帝国史上最大の収容所列島」に閉じ込めていた。
エルキンズの著書が教えてくれるのは、ケニアにおける強制移住が例外的な事例ではなく、長年にわたる植民地支配の経験から生まれた策だという事実。植民地に赴任する行政官はだいたい似たような顔触れで、インドやジャマイカ、南アフリカ、パレスチナ、マレー半島、キプロス、アラビア半島のアデンなどを渡り歩いていた。そして暴力と拷問、残酷な処罰による抑圧のノウハウを蓄積していた。