「稼げる大学になれ」とさかんに言われてきたが…

経済が停滞すると、経済界、政界、行政から必ず、あることが叫ばれる。「大学改革」だ。

例えば、

<日本経済が振るわないのは、イノベーションの源泉である大学が、蛸壺たこつぼのような専門、論文至上主義などの狭い世界に閉じこもり、実用的な成果を生み出す研究をしていないからだ>
<米国の大学は、1980年代から研究成果を特許にしたり、産業界と連携したり、研究成果をもとにベンチャー起業したりするなど、さかんに経済活動をしている。日本も見習うべきだ>

一言でいえば稼げる大学へ早く転換せよ、ということだ。日本では1990年代後半からこうした政策がさかんに進められた。

特に国立大学への風当たりは強かった。かつて大蔵省(現・財務省)による銀行の横並び経営「護送船団」方式が問題になったが、国立大も同じことが指摘された。

文部省(現・文部科学省)が、「箸の上げ下ろし」まで事細かに指示する一方、大学に安定的に予算を配っている。その結果、経営力のない銀行が生き延びていたのと同様、個性や実力のない大学も生き延びている、と。

結果、論文ランキングは世界4位→10位に

そこで政府は、国立大学に配っていた基盤的な経費を削減する一方、すぐに役立つ研究や産業に直結する研究を重視し、政策に沿ったところへ手厚く予算を分配するなどの改革に乗り出した。

それまでの終身雇用制が研究者のやる気を阻害するとして、若手研究者には期間を限って雇用する任期制度も導入した。「さまざまな大学や研究所で武者修行をすることで、能力が向上する」という説明だった。

だが、日本の研究力は段々下がる。この8月に文科省の科学技術・学術政策研究所が公表した指標では、日本は約20年前までは、影響力が大きい論文数で世界4位だったが、今や10位に落ちた。長年1位だった米国を追い抜いて中国が1位になったことも、日本にショックを与えた。

現場の現実にそぐわない数値目標を優先させている

なぜ国が力を入れても成果が出ないのか。政治、行政、産業界が、研究現場の現実を踏まえて方策を検討するのではなく、「こうあるべき」という考えと、そのための枠組みや制度、数値目標などを優先させることがあるだろう。

不慣れな目標を提示された研究者が、ピントはずれの「大学商法」を進め、自らの力を弱めた面もある。そして、政治も行政も産業界も、進めてきたことの検証や統括をしないまま、次の方策へと突き進んでいく。

国立大学を所管する文科省の元幹部は「経済が上向かないと、『やはり大学は役に立たない』と言われる」。効果が出るまで、次々と新たな方策を生み出さざるをえない事情を話す。

一方、「武士の商法」ならぬ「大学商法」は、すぐにはうまくいかない。例えば「稼げる大学」の指標のひとつの特許を見てみよう。