自分の「名」のもとに失敗するリスクを張れるか
説明責任を引き受け、自分の名のもとに事業リスクを取れ。社会はその見返りとして、君に責任、エクイティ、レバレッジを与えてくれる。
リッチになるには、レバレッジが絶対に欠かせない。
レバレッジの形態には、労働、資本、そしてコードやメディアがある。でもそのほとんどは、労働と資本のように、誰かから提供を受ける必要がある。労働なら、誰かに従ってもらう必要がある。資本なら、誰かに資金や運用資産、機械の提供を受ける必要がある。
だからそれらを得るために、君はできる限り君の名前で信用を築かなくてはならないんだ。それにはリスクが伴う。説明責任は諸刃の剣、というやつだ。成功すれば君の功績になるが、失敗すれば君が矢面に立たされる[※2]。
明確な説明責任がカギだ。説明責任を負わなければ、やる気を持てない。説明責任を負わなければ、信用は築けない。でも説明責任にはリスクが伴う。失敗のリスクが伴う。恥を掻くリスクが伴う。君の名前で失敗するリスクが伴う。
ありがたいことに、現代社会には債務者監獄というものはなくなった。他人のカネを失っても投獄や処刑に遭うことはなくなったが、それでも自分の名のもとに公に失敗したくないという社会的本能が働く。
でも、自分の名のもとに失敗するリスクを張れる人が、莫大な力を得るんだ。
個人的な話をしよう。2013年か2014年まで、私は世間的にはもっぱら「スタートアップや投資界隈の人」と見られていた。
私が哲学や精神性など幅広い物事について語り始めたのは、2014年か2015年頃になってからのことだ。それを自分の名のもとに語ったから、多少不安はあった。業界でも心配して、「何してるんだ? キャリアが終わるぞ。ばかなことをするな」なんてメッセージをこっそりくれる人もいた。
それでも、とにかくやってみた。リスクを取ったんだ。仮想通貨への投資も同じだ。早い時期にリスクを取った。でも自分の名前を出せば、リスクを負う反面、リターンが得られる。恩恵が得られる[※2]。
かつて船長は船と運命をともにした。船が沈むとき、最後に船から下りるのは船長だった。説明責任には重大なリスクが伴う。
でも私がここで言っているリスクは、ビジネス環境で取るリスクのことだ。
ここでのリスクは、君が自己資金を回収する順番がおそらく最後になるということだ。君が自分の時間に対する報酬を得る順番が最後になるということだ。君が会社に費やした時間と、費やした資金――それを失うリスクがあるということだ[※2]。
言っておくが、現代社会では下方リスクは限られている。優れた経済システムでは、債務でさえ自己破産で帳消しになる。私が一番くわしいのはシリコンバレーの事情だが、それでも一般的に、正直で誠実に努力する人は失敗しても許されるものだ。
失敗に関してはそう恐れることはないのだから、説明責任をもっと果敢に引き受けよう[※2]。