個人情報規制で困るのは既存の大企業だけ

また、自己情報コントロール権が含む「個人起点」の発想は、データを囲い込む傾向のあるプラットフォームのビジネスモデルにとってはマイナスかもしれませんが、個人がデータポータビリティ権などを行使することによって、データが特定の巨大プラットフォームから解放され、そのデータを手にしたスタートアップなどが活気づく可能性もあります。

鳥海不二夫、山本龍彦『デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康をめざして』(日経プレミアシリーズ)

加えて、その「個人起点」の権利観は、「Web3.0」とも呼ばれる分散型技術のイノベーションを強力に牽引するかもしれません。自己情報コントロール権―個人が起点のデータ利活用―はむしろビジネスチャンスになるわけです。こう考えると、自己情報コントロール権の確立を気まずく思うのは、「Web2.0」で大量のデータと利益を得た、既存の大企業だけなのかもしれません。

さらに、自己情報コントロール権の承認に消極的であることが、日本のガラパゴス化を招き、既にこの権利を背景にデータ保護法制を構築しつつある欧米諸国(特にEU)との「Data Free Flow with Trust:DFFT(信頼性のある自由なデータ流通)」を難しくさせる可能性もあります。これは日本企業の国際競争力を削ぐことにもなるでしょう。

それだけではありません。

欧米の動向からわかるように、アテンション・エコノミーの下で認知過程をハッキングされ、プラットフォームの商業的アルゴリズムによって主体的な生き方を奪われないようにするためには、何より、自らのデータに対するイニシアチブを個人が取り戻さなければなりません。自分が知らない間にプロファイリングされて認知過程が丸裸にされたり、知らない間にフィルターバブルに押し込められ、商業的な観点から事業者が食べさせたいコンテンツを無理矢理に食べさせられたりすることがないように、自分の情報に対するコントロールが保障される必要性は高いのです。

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