アスリートの「殻」を破ったマニー・パッキャオ

アスリートはどうすればこの殻から抜け出せるのか。アスリートが社会性を失わずに済む、あるいは再び獲得するためにはどうすればいいのか。この答えは、あるアスリートが歩んだ軌跡から導き出せる。2021年9月に引退を表明した元ボクシング選手マニー・パッキャオである。

6階級を制覇したフィリピン出身のボクサーと聞けば思い当たる人は多いかもしれない。フライ級からスーパーウェルター級までの体重差約19kgを乗り越えてチャンピオンになった、前代未聞の選手である。

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彼のすごさは選手としての成績だけではない。このスーパーアスリートは現役時代の2010年に祖国フィリピンで国会議員となり、今夏には、上院議員を務めながら今年行われた大統領選へ出馬したのだ(結果は落選)。

選手として試合に出場するかたわら、「マニー・パッキャオ基金」を開設し、貧困緩和のための物資の供給や台風の被害者への膨大な支援、医療施設を建造するなどの慈善事業を展開するなど社会問題にも積極的にコミットしてきた。祖国を思い、社会を憂うその問題意識は、すでに現役時代に芽生えていた。

「世界のズレ」がもたらした「二重のレンズ」

多くのアスリートに欠如しがちな社会性をパッキャオは身に付けている。その理由を日本大学の石岡丈昇教授(比較社会学・身体文化論)は「二重のレンズ」にあると指摘する。

フィリピン・ミンダナオ島の中央部に位置するキバウェの貧しい家庭に生まれたパッキャオは、本格的にボクシングを始めた14歳の時に同島のディゴスに単身で移住し、16歳で首都マニラに上京する。その後プロボクサーとして頭角を現すと、日本、タイ、そしてアメリカで試合を行い、やがてロサンゼルスに生活拠点を移した。

山奥から地方都市、首都から外国へと地理的な移動を、また貧困層から富裕層へと社会的な移動を繰り返してきたパッキャオは、「生きている世界」と「生きてきた世界」がつねにズレている。このふたつの世界のズレこそが彼の諸活動の動因であると石岡氏は言う。

「生きている世界」から「生きてきた世界」を見つめ、また「生きてきた世界」から「生きている世界」を見つめ返す。この「二重のレンズ」こそ、アスリートが社会性を獲得するために持ち合わせていなければならないものである。