若者たちはLINEで「会話」をしている
句読点は文章作成において使われるツール(あるいはルール)であって、日常のくだけた会話では必ずしもそうではない。
若者からすればLINEで仲良く和気あいあいと「会話」することを想定しているチャンネルで唐突に「文」を突き付けられたような気分になって、たじろいでしまうのである。えっ⁉ なんでいきなり“文章”を送ってくるの⁉ といった具合に。
余談だが、いわゆる「おじさん構文」「おじさんLINE」と揶揄されてしまう、中高年のメッセージに特有とされるコミュニケーション様式は、「句読点が用いられた、『会話』ではない『文』のはずなのに、『会話』で使われる絵文字やネットスラングがある」というアンバランスさが多くの若者たちに強烈なインパクトと違和感を残したことでミーム化した。
若者たちはLINEやInstagramで使っているようなネットスラングをリアルな対面状況における音声会話でもそのまま使う。「~草(くさ)」とか「~してもろて」などのネットスラングが対面コミュニケーションの場でそのまま発音されている場面は、中高年どころかそれこそ30代くらいの人でも驚くかもしれない。
いずれにしても、それくらい「LINE的コミュニケーション」と「会話」に垣根がないのである。逆にいえば、日常の音声会話とほとんど区別のないコミュニケーションの場に、いきなり句読点が満載した“文書”がぶつけられてしまったら、かれら若者がそれを見て当惑するのも無理もないことがわかるだろう。
いずれにしても「ネット通信を介したメッセージ交換」に対する根本的な前提のズレがこのような不幸なすれ違いを生んでいる。若者たちは会話の延長として、おじさんたちはEメールの延長としてそれを認識している。