「お前は、自分の仕事を小さく見せてしまっている」
2002年夏、山田精二は管理職(キリンでは経営職と呼ぶ)への登用試験を受ける。筆記に通り面接に臨むと、面接官の一人に上司である前田仁がいた。
別の面接官から「あなたはいま、どんな仕事をしていますか」と、仕事内容を問われた山田は、「糖質オフの発泡酒『淡麗グリーンラベル』を開発して、今年4月に発売しました」と答えた。
すると、試験後に前田から呼び出しを受ける。
「今日はあきれた。お前はもういらない」
怖い顔で前田にこう言われる。「はい……」としか、山田には答えられない。
「お前には抽象的な概念が欠けている。だから、自分の仕事を小さく見せてしまっている」
リラックスしている時の前田は、関西弁を使うことが多かったが、このときはクールに標準語で言った。
山田はそれまで、仕事には具体性が必要だと信じていた。合理的に誰にでも、簡潔に説明できることが、何より重要である、とも考えていた。
しかし、前田の指摘から山田は気付く。「私は、健康という価値を酒類に取りこむ仕事をしています。開発した発泡酒『淡麗グリーンラベル』は、日本で初めてヒットした健康系の酒であり、いまは健康という概念を市場に定着させようと取り組んでいます」と、話すべきだった。
このときから山田は、仕事への向き合い方を変える。
山田精二は、上司としての前田について次のように証言する。
「僕にとって前田さんは、越えられない壁であり、大切な上司でした。熱い心を持っていて、僕のいいところを認めてくれました。一方ではリアリストでありながら、予言者でもあり、かつ大変な『人たらし』でもあった。前田さんの周りにはいつも人が集まっていました。
天才的なリーダーに見られるように、前田さんもまた、しょっちゅう『朝令暮改』をしていました。前田さんには、自分を少しでもよく見せようという部分が、まったくありません。だから『朝令暮改』は、保身や政治のためではありませんでした。純粋に、仕事に必要だからやっていたのです。
前田さんは、ブレない人であると同時に、変化に対応する柔軟性も兼ね備えていました」
前田が不向きな部下を異動させたワケ
マーケ部長だった前田は、異動してきた部下に次のように話していた。
「マーケティングの仕事は、いままでの仕事とはまったくの別物だ。使いものにならなければ、1年、いや半年で代わってもらう。その方が本人のためなんだ。何も、君の人格や能力が全部ダメというわけではない。あくまで、新商品開発やブランドのマネジメントに向いてなかったというだけだ。マーケティングは、向き、不向きが分かれる仕事。適性を判断するのも、上司である私の責任だ」
前田が「不向き」と判断した場合、前田は当人と面談して、“次の職場”を決めていく。「君はコミュニケーション能力が高い。広報はどうか」、「やはり、営業の方が向いていると思うが」……。その上で前田は、当該部署の幹部と話して、当人を異動させていたのである。
攻撃を受けても、前田は決して報復をしない。そればかりか、攻撃した相手との関係性を決して遮断しない(一言居士の姿勢は貫くが)。このため、どこの部署に対しても、部下の“再就職”が可能だった。前田自身が社内的に実力者となっていた点も、異動を容易にさせていた。
前田によりこうして異動となった者のなかには、執行役員になったり、さらに事業会社のトップになって活躍中の人もいる。マーケ部での経験を生かして、だ。