この「DRD4」という遺伝子は全人類が保持し、集中力の機能に欠かせないものだ。DRD4にはいくつかの多様体(バリエーションがあるということ)があり、その一つがADHDの人に共通して見られる。

もとよりADHDを引き起こす唯一の遺伝子というものはなく、またDRD4自体がADHDを引き起こすわけでもない。とはいえ、DRD4はADHDと最も関連性の高い遺伝子の一つとされている。

科学者が調べたところ、このアリアール族のなかに、DRD4のうちでADHDと関連性の高い多様体を保持する人たちがいることが明らかになった(ADHDは単一の遺伝子によって起きるわけではないが、ここからはそれをおおざっぱに「ADHD遺伝的多様体」と呼ぶことにする)。それ以外の人たちは、ADHDとは関連性のないDRD4の多様体を保持していた。

これは予期されていたことだ。だが科学者を驚かせたのは、「ADHD遺伝的多様体」を保持する遊牧民のほうが、関連性のない遺伝子を保持している遊牧民より栄養状態がよかったことである。

いいかえれば、狩猟採集生活を営む遊牧民のなかで「ADHD遺伝的多様体」を持っている人のほうが、ない人よりも食料を多く調達できるということだ。

だが、農耕生活を営むアリアール族の集団では、その状況が逆転していた。「ADHD遺伝的多様体」を保持する農民は、それを持たない農民と比べると栄養状態が劣っていたのだ。

となれば、「ADHD遺伝的多様体」は狩猟民族にとっては有利に働くが、農耕民族にとっては不利になると考えられる。

同じ遺伝子が、ある環境で暮らす人にとっては強みとなり、別の環境で暮らす人では弱点になるのである。

この調査から導き出せる一つの結論は、私たちがADHDの症状だと考える特性、つまり衝動性や多動性は、迅速な決断が必要な活動的な環境で暮らす狩猟民族にとっては有利になるということだ。

いっぽう農耕民族は、すばやく行動する必要はない。彼らの環境では、長期的な目標に向かって精神を集中し、忍耐強く作業に取り組むことのほうが重要であり、そこではADHDの特性が障害となってしまうのだ。

現代にそぐわない「探検家の遺伝子」

ADHDの遺伝子が、アリアール族のハンターにとって強みになるという結果は、興味深い可能性を示唆している。

それは狩猟生活を送っていた私たちの祖先にとっても、この遺伝子を保持していることが有利に働いたのではないかということだが、おそらく事実であろう。

歩きまわり、狩りをし、食べ物がなくなれば別の場所に移動するといった生活のなかでは、じっとしていられずに思いつきで行動することが、「行動力があって迅速に判断を下す」ことと同じ意味なのかもしれない。ADHDの特性を持つ人にとって、このような環境は最適といえるだろう。

人類の歴史のほとんどで、私たちはそういった環境で暮らしていた。となれば、私たちがADHDと呼ぶ特性は、歴史的に見れば恩恵である。

もし衝動性と多動性がトラブルを引き起こすばかりで何の益もなければ、これほど多くの現代人がこの問題を抱えていることの説明がつかない。本当に不要な特性であれば、進化の過程ですでに淘汰されていたはずだ。

おもしろいことに、ADHDの遺伝子はハンターのみに有利になるわけではない。この遺伝子は、遊牧民にも共通するものだといい、新しい環境を求めて旅に出るという欲求にもつながっていると考えられている。いわば「探検家の遺伝子」である。

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人類は東アフリカを発祥の地とし、10万年かけて地球上に徐々に広がっていった。新たな環境を求めて未知の世界を探し出そうとするのは私たち人類の根本的な特性であり、生存に欠かせない行動でもあった。この潜在的な探求の精神こそが、今私たちがADHDと呼ぶ人々のなかにあるものなのだ。

一つの遺伝子が環境によって有利にも不利にもなるのは、アリアール族にかぎらない。私たちの社会においても同じことがいえる。ある種の社会的状況や職場ではトラブルとなりがちな特性も、別の場所では好ましい特性になることがある。

厄介なのは、ADHDの特性を役立てられる場が現代社会ではあまりないことだ。危険を冒したり、思いつきで行動したりといったことは、現代社会ではなかなか受け入れられない。

それは避けるべき行動であり、子どもにはそんなことはするなと言い聞かせなくてはならないのが現状なのである。