鉄道敷設と「スタジアム建設」がセットでおこなわれるワケ

こうした先進的な取り組みと、現在の圧倒的経済力を背景に中国の鉄道ビジネスはアフリカを席巻している。それに加えて、開発支援交渉の受け入れ側(カウンターパート)となるアフリカ諸国の首脳たちへのアプローチも、権力者たちの心理を巧みに利用しているように思える。

中国からタンザニア・ザンビアへの支援は鉄道建設だけではなかった。軍事基地も建設され、中国から兵器も供与された。しかし、鉄道と並んで中国からアフリカへの支援を象徴するものを、もうひとつだけ挙げるならスタジアムだろう。

タンザニアでは77年に中国からの支援によってアマーン・スタジアムが建設されたが、現在ではアフリカの40以上の国々で、中国からの支援によって建設されたスタジアムが威容を誇っている。アンゴラ(中国の支援でベンゲラ鉄道を復旧)では、2010年に同国で開催されたサッカーのアフリカ選手権に向けて4カ所に近代的なスタジアムが建設されたほどだ。

しかし、なぜスタジアムなのか?

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鉄道で国民の腹を満たし、スタジアムで国民のガス抜きをする

かつてのローマ帝国では、統治のための2大ツールとして「パンとサーカス」が掲げられていた。パンというのは、国民の腹を満たすこと。中国からの支援による鉄道の建設・復旧で経済が活性化すれば国民の腹も満たされるはずだから、鉄道はパン。そして、サーカスは娯楽を与えることだった。つまり、飢えをなくし、ストレス発散につながる娯楽を提供できれば、国民は多少の汚職があっても文句はいわない、という考えだ。

世界遺産・コロッセオも、ローマ帝国が掲げた“サーカス政策”の一環だ。また、現存はしていないが、ローマの市内や近郊には複数の競馬(馬車レース)場があったことが明らかになっている。

この統治理念は、ローマ帝国の崩壊後も権力者たちに脈々と受け継がれていった。

たとえば、政情が不安定だった1960〜70年代の南米では「クーデターや革命を防ぎたければ、サッカーのワールドカップを開催しろ」というのが権力者たちの間で合言葉のようになっていたという。チリは62年にワールドカップを開催したが、50年代を通じて同国の政治は農地改革も実効性を欠くなど既得権益層寄りで、庶民には不満がたまっていた。しかし、左派のアジェンデ政権が誕生するのは70年。南米人の誰もが熱狂するサッカーの祭典が、政治改革への動きを遅らせた可能性は大である。

78年のワールドカップ・アルゼンチン大会は、76年のクーデターで成立した軍事政権下で開催された。2022年の現在ならばミャンマーでスポーツの国際イベントを開催するようなもので、当時もオランダ代表のスーパースター、ヨハン・クライフが出場をボイコットしたが、結果的にこの大会で地元アルゼンチンは初優勝を飾った。軍事政権への不満も、一時的には収まったに違いない。