そもそも「too late(遅すぎる)」とは何を基準に言っているのでしょうか?
「20代のうちにこれをやらなければ」「もう自分は30歳を越えたから、今さら……」と、あせったりあきらめたりすることがあるかもしれません。
しかしこれは、誰かが作った「世の中基準」であって、「あなた基準」ではありません。確かに早ければ早いほどいいことも多いです。しかし、「史上最年少」と同じく「史上最年長」にだって大きな価値があるはずです。
仕事ができる人は今から「でも」始める
目標達成は、それが「いつ」かよりも、達成「すること」にこそ意味があります。
あるいは、やりたいことがあるはずなのに、なぜか一歩が踏み出せない。そのことに「自分はダメだ」と思う人もいるでしょう。そういうとき、私はこう考えるようにしています。
「一歩踏み出せないのは、今の自分に必要ないからだ。本当に必要になったら自然に足が動くだろう。やりたくなったときが必要なときだ」
どうしても、やりたいことがあれば、そしてそれにあなた自身がやる価値があると思えば、始めるのに遅すぎることはありません。
考え方に少しだけ工夫を加えて、今から「でも」始めるのです。
同期の出世を喜べない人は要注意
「同期で一番」という言葉は未だに色あせていないようです。
キャリアを考えるとき、同期でトップの昇進とか最年少課長といった、周りとの比較が、評価軸としては最もわかりやすいからでしょう。
しかし、周りを見てみても、10年前にトップだった人が今でもトップであり続けるケースは非常に稀です。
長い時間をかけてじっくり人を育てられる環境が続いた時代は、同期と競い合うことに意義があったと思います。「俺がお前の年のときはもう課長だった」という先輩の成功物語も意味があったことでしょう。
しかし世の中の動きが想像以上に早いのです。新卒で入社した頃に会社が行っていたことは、10年後、まったく違うものになっています。環境が時間とともに変わるため、重視される基準だって変わります。
そんな時代に、同期や先輩を基準に比較してもまったく意味のないことです。キャリアは、人生の一部を切り出しただけにすぎません。
あせり、嫉妬、不満がペースを乱す
その意味では人生が成功かどうかという客観的基準は存在しないと思います。あえて言うなら、「本人が楽しいかどうか」が重要です。「本人が幸せかどうか」が基準である、という言い方をする人もいます。
人生の一部を同期など他の人と比べるという話自体がおかしいですし、他の人のキャリアと比べて自分が何か得をするかというと、そんなことはまったくありません。