離職で社会から孤立
また会社を辞めずとも、介護休業を取得するなど、会社の制度を利用して就業を継続する方法はあったはずだ。野沢さんが勤めていた会社でも、介護休業制度が就業規則に定められていたという。
「対外的に(介護休業)制度があることをアピールしているだけで、実際に使える制度ではありません。男性が家族の介護で一定期間、仕事を休むなんて、職責を果たせずに職場に迷惑をかけるし、みんなから疎まれますよ。前例は一件もなかったですし、全く利用できる雰囲気ではなかったですから」
「で、でも……」(働く側の権利を行使してもよかったのではないのですか?)と、思わず問いかけようとして、言葉をグッと飲み込んだ。それがいかに難しいかは、数多くの取材事例から、また前職を介護離職した筆者自身の実体験からも身に染みていたからだ。
野沢さんは目線を合わせずうつむいたまま「もういいでしょうか」と言って立ち上がった。猫背ぎみの弱々しい後ろ姿が切なく感じられ、去っていく姿を目で追うことができなかった。この時点で彼はすでに社会から孤立し、精神的に追い詰められていたのだ。
再就職で「心の落ち着きを取り戻せた」
この取材から1年後の19年、野沢さんから、専門学校時代の友人の紹介で情報処理会社に契約社員として再就職したと連絡があった。無職期間3年近くを経ての再就職だった。それまで、対面インタビュー以外のやりとりは、こちらから先に、電話やメールをするかたちだったのだが、この時は初めて彼から電話がかかってきた。
そうして、思いもよらない告白をしてくれた。
「無職の時のことですが……愚痴をこぼす母にイライラして一度だけ、四つん這いで動こうとしている母のお尻を蹴ったことがあるんです。たまたま民生委員の方が自宅を訪ねてきて我に返ったんですが、あのままエスカレートしていたらどうなっていたことか……今考えても恐ろしくなります。母の要介護度が3に悪化し、車いす生活になって基礎的な動作も自力ではほとんどできなくなった頃で、母とずっと一緒に過ごしている私自身、かなりまいってしまっていました。母には悪かったですが、あのつらい出来事が家に閉じこもっていてはダメだと気づかせてくれたんです」
その後、母親の状態はさらに悪化し、22年の年明け、80歳の誕生日を自宅で祝った数日後に介護施設に入所した。今年51歳になる野沢さんは改めてこう明かした。
「まだ十分に整理できてはいませんが、(無職だった)あの頃は自分が価値のない人間に思え、生きているのさえ、とてもしんどかった。今、こうして落ち着きを取り戻せたのは、再び働き出して、少しでも誰かの役に立っているという気持ちになれたこと、そして何よりも、介護サービス業者や、地域の人たちを頼れるようになったからかもしれません。前向きな選択として、施設入所を決めたつもりです」
以前のような険しい表情は消え、和やかな面持ちで言い切った。