村人たちは「鬼畜米英」の侵入かと怯えていた
動揺して大声で話し合っていると、「キラ、キラ」と陽の光を反射しながら風に揺れる3つの影が見えた。落下傘だった。何かを吊るしているようだ。「毛唐(戦時中に使われた欧米人の蔑称)が攻めこんで来た!」。山林に落ちた落下傘につかまって、「鬼畜米英」が侵入してきたと思ったのだ。
実際にはアメリカ軍が爆発による風圧などを測るために投下した計測器だったが、村人は慌てて防空壕や山林に身を隠した。消防団員に出動命令がかかった。サイレンが激しく鳴り、「時限爆弾だから200メートル以上は逃げるように」と警報が出された。
「次の爆弾が落ちてくるんじゃないか」。森園らは恐怖に身を震わせたが、しばらく経っても何かが起こる気配はない。午前10時を過ぎた頃だろうか、消防団や家族、教員が付き添って、帰宅することになった。
防空壕から出ると、あたりがほの暗くなっていた。森園は、「不気味な空じゃね」と、不安な気持ちで見上げていた。すると、はらり、はらりと、白い灰や焼け焦げた紙が落ちてくるではないか。ふわり、ふわりと舞う紙をつかもうと、空に向かって何度も手を伸ばした。
ザーザー降りの「黒い雨」と息もたえだえの被爆者
やがて、雨が降り出した。ぽつ、ぽつ。腕に落ちた水滴は丸く、形を保ったままころころと皮膚の上を滑り落ちていく。油分を含んでいるようで、しかも真っ黒い。足元に落ちた水滴は、土にしみこまずにぽろぽろと転がっていった。「この雨は、なんじゃろか」。幼い森園の目に、その異様な雨粒はむしろ興味深く、面白く映った。
教員に連れられて、7、8人の児童らと急ぐ帰り道、ものの10分で雨はザーザー降りとなった。家に帰ると、6つ上の姉に「あんた雨に濡れてどうしたん」と叱られた。同じく濡れて帰った3つ上の姉と、汚れた服を川で洗った。水は、茶色く濁っていた。
「広島に新型爆弾が落とされたらしい」
うわさは、またたく間に広まった。広島の中心と県北を結ぶ可部街道には、火傷で皮膚がただれ、大量の血を流した裸同然の人たちが、親族の家を目指して息もたえだえに歩いていた。
服はボロ切れのように裂けて焦げ、髪は縮れて逆立ち、裸足のまま20キロもの道程を歩いて北の郊外を目指してきたのだ。
命からがら逃げてきた彼らも、そしてそれを伝え聞いた森園らも、その「新型爆弾」の正体を知る由もなかった。