甲子園よりも将来を選択した佐々木
2018年夏の甲子園で、金足農業高校の吉田輝星が予選から決勝戦の途中まで1人で投げぬいたことがきっかけとなって「球数制限」の議論が起こり、翌年日本高野連は「投手の障害予防に関する有識者会議」を諮問、2020年から「1週間で500球以内」という「球数制限」が導入された。
「投手の肩肘を守るべき」という指導者から「緩すぎる、実質的に投げ放題ではないか」という声が上がった一方、各地の高野連の幹部からは「甲子園、日本野球の伝統を壊す」「複数の投手を用意できない公立校が不利になる」など囂々たる非難が上がった。
「有識者会議」のメンバーだった整形外科医は、口々に反対意見を述べる各県高野連の代表者を前に「うちの病院に、毎日どれくらいの選手が、肩や肘の痛みを訴えて来院しているか、知っているのか?」と一喝した。場内は静まり返ったという。
佐々木朗希はこの議論の最中に登場した天才だった。そして甲子園で活躍することよりも、野球選手としての「将来」を選択した最初の投手になった。
佐々木を指名したロッテは、吉井理人投手コーチ(現ピッチングコーディネーター)の下、佐々木を慎重に育成した。1年目は試合で投げさせずチームに帯同、2年目後半から登板間隔をあけて起用し、3年目の今年、完全試合という空前の結果を残すことで、3年前の國保監督、佐々木自身の決断が間違っていなかったことを身をもって証明した。
それは「選手の未来ファースト」の考え方が「甲子園至上主義」に打ち勝った瞬間でもあった。
ちなみに國保監督、吉井理人コーチは、ともに筑波大学の川村卓准教授(筑波大野球部監督)の下で学んだ同窓だ。
まだまだ佐々木は成長できる
6月3日、佐々木は東京ドームで行われた巨人との交流戦の前に、長嶋茂雄終身名誉監督を表敬訪問した。ミスターに「背は何センチあるの?」と聞かれた佐々木は「192cmです」と言った。公式発表では190cmのはずだ。佐々木朗希は20歳になった今も背が伸び続けているのではないか?
先日、ある会合で顔を合わせた元ホークスのエース、斉藤和巳さんにそのことを話すと「僕も22歳まで背が伸びていましたよ。佐々木もそれくらいまで伸びるんと違うかなあ」とのことだった。
だとすればロッテ球団は佐々木朗希を今後も大切に起用し、さらなる進化を促すに違いない。佐々木朗希の「最終形態」はどんなものになるのか、期待感がますます高まるところだ。