負傷者続出のサバイバルゲーム

佐々木をめぐる論争は、今の高校野球が抱える問題を象徴している。

筆者は強豪高校の野球部を取材するが、関係者から「今のうちのエースは○○ですが、本当はあいつと同じクラスの投手が2人いたんです。でも潰れてしまいましてね」みたいな話をたびたび聞く。

甲子園に出場するような有力校には、少年硬式野球などで活躍した有望な投手が入学する。監督は「これは」と思う投手をエース候補に据えて、特別のトレーニングを課して育成する。

少し前まで「投手の育成」といえば「走り込み」と「投げ込み」だった。下半身を安定させるためには「走り込み」が不可欠。そして制球力とスタミナをつけるためには「投げ込み」が必要。こうして育成されたエースが厳しいトーナメント戦を勝ち抜いて「栄冠」を手にするというサクセスストーリーが定着していた。

しかし過度の投げ込みや試合での投球過多は肩、肘、腰などの故障、怪我を誘発する。エース候補と目された投手の中には、肘の靱帯を断裂したり肩関節を負傷したりして投手を断念する例が後を絶たなかった。

特に近年は中学以下の段階で、投球過多などでOCD(離断性骨軟骨炎=いわゆる野球肘)を発症するなど既往症を持っている選手も多い。そういう投手は高校でさらに投げ込むことで症状を悪化させがちだ。

しかし指導者はそれでも投手に投げ込みをさせた。

2年半の高校時代に甲子園に出場して勝たなければいけないからだ。端的にいえば、甲子園で活躍する投手は「過酷な練習、投球」というサバイバルゲームの「勝者」だった。そして甲子園でも故障せずに済んだ投手が、鳴り物入りでプロ野球に進んできたのだ。

右腕が不自然な方向にねじれている

100年を超す甲子園の歴史を振り返ると「悲惨なドラマ」をいくつも見ることができる。

1991年の夏の甲子園、沖縄水産のエース大野倫は粗削りながら恵まれた体躯から繰り出す剛速球を武器に沖縄県大会を勝ち抜き、甲子園に進出した。前年秋に新チームのエースになってから、ほぼ毎日200~300球を投げ込んだ大野は、5月の練習試合で右ひじ靱帯を損傷し、予選では痛み止めの注射を打って投げた。甲子園でもなんとか決勝まで勝ち進んだが、大阪桐蔭に8対13で敗退した。

右ひじを気にする高校時代の大野。
画像提供=大野倫
右肘を気にする高校時代の大野。

沖縄に帰って閉会式のビデオを見ていたチームメイトは、球場を行進する大野倫の右腕が不自然な方向にねじれていることに気が付いた。靱帯の断裂に加え、肘関節を剝離はくり骨折していたのだ。大野は手術を受けたが、投手を断念せざるを得なくなった。のちに九州共立大で外野手に転向。巨人、ダイエーを経て引退している。