言葉は「社会の通念」で変化する

私たちの社会は法律によって支えられていますが、だからといって社会の全ての規則、個人的で感情的なことまでいちいち法律で判断されるわけではありません。道徳、礼節など、私たちの生活には、法律以外にも多くの規則が存在します。法律のように公文書として存在し、その規則を破った人を強制的に処罰できる権限を持っているわけではありませんが、それらの規則も大事で、私たちの生活に強い影響を及ぼします。

シンシアリー『日本語の行間』(扶桑社新書)

言語もまた同じです。文法のように、学者レベルで多くの議論を経て公式に決まる部分もあります。しかし、文法を変えたわけではなくても、特定の方向性に偏った使い方をする人が増えると、言葉は「社会の通念」という規則により、変化します。

例えば、文法的には間違いなく相手への尊敬語であるのに、実際の生活での利用は、相手に失礼な、むしろ相手を侮蔑する意味として使われている言葉もあります。言い換えれば、礼儀正しく使う人が多いと、その言語システムは礼儀正しくなります。相手を攻撃する人ばかりだと、彼らの言語は攻撃的になります。例え、文法的には昔と変わっていなくても。そうした変化もまた、言語システムの「行間」ではないでしょうか。社会の通念がそう進化させましたから。

そして、それらの進化には、「外国語に訳すのが難しい」という共通点もあります。

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