「私は、これほど子どもをかわいがる人々を見たことがない」。世界中を旅した19世紀のイギリス人旅行作家、イザベラ・バードがそう記している。彼女が見た日本人の子育て風景とは——。

※本稿は、中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

川沿いの土手を散歩する親子
写真=iStock.com/maruco
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世界的な旅行作家「イザベラ・バード」

「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」――イザベラ・バード

イザベラ・バードという名前をどこかで聞いたことがおありでしょうか。と言っても、活躍中の女優さんでも小説家でもありません。昔の人です。

今から140年も前の1880年に『日本奥地紀行』という本を出版したイギリス女性なのです。子どもの頃は病弱でほとんど家から出ずに暮らしていたのですが、ある時お医者さまから「転地療養をしなさい」と勧められました。そこで、20代半ばから旅を始めたのだそうです。本来好奇心が強かったのでしょう。

旅を始めてみたら、未知の世界への関心が生まれました。まずアメリカとカナダを旅し、41歳の時にはオーストラリアにも行っています。今と違って海外へ出かけるには長時間かけての船旅をしなければなりませんし、とくに女性の一人旅など珍しい時代です。

訪れた先々でのその地の人々の生活に目を向け、見聞きを記した旅行記で名が知られるようになりました。そこで、ますます旅が面白くなり、辺境の地にも目が向くようになっていきます。

人間ってどこでどう変わるかわかりませんね。病弱で一日中ソファで寝たり起きたりしていた人が、ちょっとしたきっかけで、誰も行かないようなところへ行ってみようという旅人になるのですから。私にできるはずがないなどと思わずに、何でもやってみることが大切なのですね。

ヨーロッパ人から見た「日本」

旅を続けていたイザベラがある時関心を持ったのが、日本でした。実は1862年に開かれた第二回ロンドン万国博覧会で駐日英国公使が収集した版画、漆器、刀剣など日本独自の趣を持つ美術品が展示されました。今私たちが見ても蒔絵まきえの漆器などほれぼれするものがたくさんありますから、ヨーロッパの美術品とは異なる美しさが評判を呼んだのは当然でしょう。当時のヨーロッパの人にとって日本は遠い国です。

東の端っこの方にある小さな国だから大したことはなかろうと思っていた日本が、どうも高い文化を持っているらしいということがロンドン万博によって認識されたのです。そんな評判で少しずつ日本を訪れる人が出てきて、富士山や日光や京都などをすばらしく美しいと伝えるようになり、ヨーロッパでの日本への関心が高まっていきました。そこで、旅行家イザベラとしてはどうしても日本に行ってみたくなったのでしょう。