老いとどう向き合っていけばいいのか。JT生命誌研究館名誉館長の中村桂子さんは「それぞれの年齢の自分は一度しか味わえないのですから、その時を楽しむ方が人生を充分味わったことになるのではないか」という——。

※本稿は、中村桂子『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

JT生命誌研究館名誉館長の中村桂子さん
写真提供=中央公論新社

縄文時代の労働時間は「週に15時間」ほど

どんな時にどんな所で生まれるかは、自分では選べません。私はこんな時代に生きたんだというしかありません。ただ、歴史や社会を勉強していくうちに、私はよい時によい場所で生まれたと言っていいのではないかな、運がよかったなと思うようになりました。

もし日本で生まれたとしても他の時代だったらどうでしょう。縄文時代に生まれたらどうだったでしょう。最近の研究によって縄文時代、つまり狩猟採集時代は今想像するよりよい時代だったということがわかってき始めました。現在、アフリカで狩猟採集をして暮らしている人々の調査からもなんだか羨ましい生活が見えてきています。衣食住の基本が得られればよく、それはどれも周囲の自然から手に入れているので、そのために必要な労働時間は週に15時間ほどで後は自由だというのですから。必要なときに必要なものが必要な量だけあることに誰もが満足し、争いごとはせず、皆が対等で周囲の人との関係を大切にしていることもわかってきました。

今の日本に生まれてよかったと思える

縄文土器など、とても芸術的なものもたくさんありますから、身近な道具や身につけるものをていねいに作ることを楽しんでいたのだろうなと想像できます。私はこういう生活が大好きなので、縄文時代の方がよかったかなあと思いもするのですが、実は私は小学校の頃からひどい近視でした。眼鏡なしでは暮らせません。縄文時代には眼鏡はなかったでしょうから、生きることが難しかったに違いありません。眼鏡があり、そのうえコンタクトレンズまで開発されて便利になった今は、やっぱりありがたいなと思います。平安時代のお姫様だったらよいかもしれないと思いつくやすぐに、それも窮屈かしらと思い返します。こうして、さまざまな時代を考えたり、世界各地をイメージしたりしたうえで、今の日本に生まれてよかったと思っています。