現場の空気を変える高倉健の沈黙の演技

――間近で見ていて、高倉健さんはどんな俳優でしたか?

健さん自身が「大切なのは心に思うことがすべて」とおっしゃっていたように、健さんの演技の核心は「沈黙」だと思うんです。

『居酒屋兆治』のラストシーンでも、カメラが回っても健さんはなかなかセリフを言わなかった。あれもまた沈黙のシーンでした。

ラストシーンの撮影のときは、撮影所に緊張感が張り詰めていました。撮影所のシャッターが下ろされて、「本日の撮影は部外者立ち入り禁止」と貼り紙が張られて。スタジオ内は掃き清められていて、スタッフが一列に並んで俳優が入るとお辞儀をする。私が入ったときもものすごい緊張感で、思わず「えっ、私、今日脱ぐんでしたっけ?」って冗談を言ったんですが、誰も笑わない(笑)。

ラストシーンは、私が厨房の後片付けをしていて、健さんの「すまなかったな」という一言をきっかけにして、「人が心に思うことは誰にも止められない」から始まる長ゼリフ、そして音楽が入ってエンドロールという、この映画にとって一番大事なシーンです。

舞台のお芝居と違ってリハーサルもなくて、段取りだけ決まっていて、あとは一発本番なんです。

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『居酒屋兆治』のラストシーンの撮影風景。

それで、カメラが回り始めたのですが、健さんはなかなかセリフを言わない。

私は降旗監督から「そこで片づけをしていてください」と指示されていたんですが、健さんがずっと黙っているから、そのうち私はやることがなくなってしまって。鞄の中を開けて、中身を確認したり、「ああ、こんなところにあった」とか独り言を言いながら、健さんのセリフを待ち続ける。

でも、なかなかしゃべらない。降旗監督やカメラマンの木村さんをはじめ、スタッフは息を止めて見ている。私はせわしなく厨房の片付けをしている。健さんはセリフを言わない。

ためてためて、健さんが「すまなかったな」と言って、ワンテイクでOKになりました。

大事なシーンは2度撮らない

でも、私は「貼り紙までして1回しか撮らないの?」ってびっくりしちゃって。あんな貼り紙までしてるんだから、1日かけて撮る気なのかなと思うじゃないですか。

「大事なシーンは2度撮らない」ということは、健さんが亡くなってから知りました。それなら最初に言っておいてほしかった(笑)。

あの撮影所の緊張感は、スタッフはみんな、「健さんは今日1テイクでやるつもりだな」とわかっていたからなんですよね。

ただ、あの沈黙の時間の中で、健さんはいろいろと心に思うことがあるんだと思います。

健さんの沈黙って、空気を変えるんです。そして、心の中にストンと落ちたときに「いまだ」とセリフを吐く。すべての人が健さんの次の瞬間を待っている。それがあの方の演技の核心なんです。沈黙するシーンは、健さんにとって最大の勝負どころなんですよね。

高倉健は心に思っていることで勝負をしている。

私たちは健さんが沈黙して、心の中に思っていることを想像している。息を詰めてそれを見ている。

沈黙をフィルムに残すなんて、誰にでもできることではないですからね。