できなくなったことを悲観せず、できることを大切にする

歳をとると、体や脳が衰えてきます。それは確かですが、だからといって、いきなり何もできなくなるわけではありません。

たとえば、認知症になると、とたんに何もかもわからなくなると思われがちですが、初期には記憶障害が起こるものの、理解力などはそれほど低下せず、それこそ長谷川和夫先生のように講演さえできるものです。

また、認知機能は衰えても、体は丈夫で長く歩けるという人もいれば、反対に、歩行困難で車いす生活を送らざるをえないものの、頭はシャキッとしている人もいます。老化によって、すべての能力が一様に低下するわけではないのです。

ニュースキャスターの安藤優子さんのお母さんは、認知症が進み、老人ホームに入居していたそうですが、施設で「臨床美術」のセラピーを受けて、大好きだったハワイの思い出を描くようになったといいます。

終末期になれば、寝たきりでほぼ何もできない状態になりますが、それまでは、できないことは増えても、できることは残っています。重要なのは、できなくなったことを悲観するのではなく、できることを大切にして、それを活かしていくという考え方です。

パラリンピックの選手たちは、障害者という枠のなかで競争しているというイメージをもたれがちですが、彼らは多くの競技において、ほとんどの健常者よりもはるかに高い能力を見せます。つまり彼らは、できることの能力を最大限に伸ばし、できることのすごさで世界を相手に競っているわけです。

老いや死をうまく受け入れた人は魅力的に見える

できないことがあってもいいのです。「できることはこんなにすごい」という方向に目を向けることが大事なのです。人は自分の欠点ばかりを気にして、長所を見過ごしがちです。たとえば、受験勉強では、苦手科目を克服しようとするより、得意科目を伸ばすほうが、合計の点数が上がることが多いものです。

和田秀樹『老いの品格 品よく、賢く、おもしろく』(PHP新書)

実際、高齢になっても、できることの何かがすごければ、人から一目置かれます。たとえ寝たきりになっていても、おもしろい話ができるなら、話を聞かせてほしいと思う人が周りに集まってくるはずです。

絵や音楽、運動など、これまでやってきたことがあれば、できるかぎり続けていくことで、さらに新しい境地にいたることもあるでしょう。ピカソなど巨匠と呼ばれる画家でも、歳をとってからの作品のほうが高い評価を得ることはめずらしくありません。

老いや死は、ある程度上手に受け入れておいたほうが、他人から見ても魅力的であるばかりでなく、自分自身も平穏な気持ちを保つことができます。そして結果的に、老いによるダメージの程度がそれほど大きくならずにすむことが多いと思います。

老いを受け入れると、できないことをあきらめられるぶん、できることを慈しみ、それをもっとやってみようという意欲が湧いてきます。そして、老いの時間をより豊かに過ごせるようになると思います。

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