メディア志望の学生も8割が「報道すべきでなかった」

筆者が日頃教えている大学生は将来的には新聞記者やテレビ番組の制作者など「報道の仕事」をはじめとしてメディアに携わろうと考えている人が少なくない。そうした学生たちというのは通常、「報道の理屈」も頭では理解しているはずの人たちである。

その中で簡単なアンケートを採ってみたところ、「プロポーズの手紙」のテレビ報道に対して、「報道として適切だった」が11%、「報道すべきではなかった」が78%、「どちらとも言えない」が11%という結果になった。

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学生の中で最も多かった「報道すべきではなかった」という人たちはなぜそういう意見を持ったのだろうか。回答の一部を抜粋して紹介したい。

・私が報道する側の人間なら、プロポーズの言葉は報道したくありません。

センセーショナルな話題で視聴者を煽るための道具として扱われているようにしか思えません。感情的な考え方かもしれませんが、プロポーズの言葉は、通常でも大っぴらにするものではありません。故人となった人の了解なしにそれが公開されることに違和感があります。報道を見た時も、初めに思い浮かんだのは「勝手に公開されてかわいそう」という考えでした。今回の事件の痛ましさを伝えるにしてはあまり効果を成さないうえ、下世話であると感じました(3年生Aさん)

・こういった事件について、一人一人が関心を持てるような情報を提供したり、繰り返さないよう多方面に働きかけたりする役割を担う上で、こういったプライベートなことも重要なのかもしれません。

しかしSNSが発達した現在において、そういった視聴者の感情に訴えられるような内容というのは、報道機関の意図とは真逆に作用し、それが大きくなってしまう可能性も非常に大きいと感じます。

どれだけ言っても誹謗ひぼう中傷はなくならないこの状況下においては、そういった「何かしらの意見・感想を持ちやすい内容」を取り上げるかどうかは、これまでの流れにただ乗るのではなく、慎重にひとつひとつ考えていくべきだと思います。

遺族側からの提供ではなく、報道機関側の積極的姿勢で取材して記事にすることに関しても、個人的にはあまり賛同できません(2年生Bさん)

・今回のように遺族が公開する場合、その被害者の人柄を知っている人ということですから、「きっとこの子の性格なら、自分の想いを多くの人に伝えることが、この事件を考えるきっかけになってくれたら嬉しいと考えるだろう。」といったような想像があって、手紙の公開に踏み切ったのかもしれません。

それでもやはり、報道機関の果たすべき役割と天秤にかけて考えても、私個人的には「本人の意思が確認できないままに、個人的な内容を含むものを公開すること」というのは良くないと感じます(3年生Cさん)

・本人たちが望んで答えるならまだしも、了承を得られる状況でない中で公表するのはどうなのかと思いました。急な訃報を受け取った遺族にそうした冷静な判断を求めることは難しいと感じるので(外部からの圧力があったのではないかと個人的には疑ってしまいました。)、テレビ側が考慮して放送は控えるべきだったのではないかと考えます(1年生Eさん)