Z世代を中心に「手紙」報道への拒絶感が広がっている

知床遊覧船の沈没事故で亡くなった22歳の男性が船上で恋人の女性にプロポーズするための手紙が駐車していた車内から見つかり、遺族が葬儀に合わせてマスコミに公開した問題は今も報道のあり方に波紋を広げている。

ズームインしたビデオカメラ
写真=iStock.com/RGtimeline
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メディアの対応を見ると、新聞やテレビなど、いわゆるマスコミ各社は全文を掲載するなど大々的に報道した。だが特にテレビでアナウンサーや声優らが「手紙」を感情たっぷりに読み上げたことに対しては「拒絶感」や「違和感」を覚えた人が多かったようだ。

Yahoo!ニュースのコメント欄などにもそうした反応が書き込まれている。

なかでもZ世代と呼ばれる若者世代にこの「違和感」はとりわけ強いものがある。それはなぜなのだろう?

大きな事故や事件、災害などで犠牲になった人たちの「人生」や突然の悲劇で失われた「夢」について伝えることは、報道での“定石”である。

一人ひとりが持っていたエピソードを掘り起こし、失われた命の尊さを伝えて視聴者や読者に「自分ごと」として受け止めてもらう。責任の所在や再発防止などに目を向けてもらう。そのことを伝える意味を報道機関の側は疑いもしなかった。報道側として当然、読者や視聴者が知るべきこととして取材し、伝えてきた。

だが、今回の“プロポーズの手紙”報道にはネットの反応を見る限り、相当数の人たちが「違和感」を持ったようだ。筆者の周囲の若者たちは将来、報道の記者やテレビ番組の制作者を志す人が少なくない。そうした若者たちでさえ、「違和感」を持ったという反応が圧倒的に多い。SNSの時代になって、個人の“知られたくないこと”への意識が高まり、こうした「報道する側の常識」が揺らぎつつあるように見える。

生前の文章を公開、法律上は「問題なし」だが…

亡くなってしまった人の個人的な文章(プライバシー)を遺族が提供してメディアが公開する場合、報道することは許されるのだろうか。

個人情報保護法も「生存する個人」が保護の対象となっていて死者は対象にはなっていない。法律論から言うと、それをメディアで公開することは「許される」「問題はない」というのが結論だ。

仮にそのプライバシーが故人の名誉を傷つけるようなケースであった場合でも、亡くなってしまった人が名誉毀損きそんだと訴えることはできない。訴えることができるのはあくまで、現在生きている人=遺族である。今回のように、一般的にその人の名誉を貶めるものではないし、遺族が承諾しているどころか遺族自身がメディアに提供しているケースだと法律上の問題にもなりようがない。

ところが、ネットなどの反応を見ると「死んだ人のプライバシーの侵害だ」という反応が少なからずある。これは筆者の周囲の大学生の中にも同様にある姿勢だ。