女子の教育や就労を巡って対立する国際社会とターリバーン
ここで挙げたパシュトゥーン・ワリーは、ターリバーンの行動規範を理解するうえで重要である。一般に「厳格なイスラーム解釈に基づく統治」といわれることが多いが、ターリバーンの行動はパシュトゥーン・ワリーを基にしていることも多いからだ。
例えば、髙橋博史は著書『破綻の戦略』の中で、1996年にアメリカ政府の女性高官がターリバーンの最高指導者との面会を希望した際でも、ターリバーンの大幹部らは「イスラームでは見知らぬ女性に会うことは禁じられている」として、この国家承認に向けて非常に重要な会談を最も若輩の閣僚に対応させたエピソードを語っている。
つまり、ターリバーン大幹部の心は、見知らぬ女性に会い、相手のナームースを汚した場合、自分の名誉が傷つけられるとの思いに支配されていたのである。
また、髙橋は、国連機関や国際社会が婦女子の教育や就労について理解を迫ることは、ターリバーンにとってはナームースの侵害に当たるため、そもそも国際社会とターリバーンとの間の女性の権利保障をめぐる議論は噛み合っていないともしている(髙橋博史『破綻の戦略』150〜164ページ)。
もっとも、シャリーアの規定とパシュトゥーン・ワリーは、全く別の考え方ではなく重なる部分も多い。例えば、異民族の侵略に対する抵抗は、イスラームでもパシュトゥーン・ワリーでもジハード(聖戦)と位置付けられる。女性の髪や身体をヴェールで覆うことについても、両者の間に相違点はない。
むしろ、ターリバーン支配の象徴ともいえる青いチャードリー(頭部や顔から足元までを覆うヒジャーブの一種。日本ではブルカと呼ばれる)なども、顔が見えないことが女性の自由の侵害だとして、着用を強制したターリバーンが欧米社会で非難を集めたが、そのデザイン自体はアフガニスタン独自の文化に基づくものである。
この意味において、ターリバーンによる「シャリーアを厳密に解釈した統治」と呼ばれるものは、アフガニスタンにおける一般的な人々の暮らしと実は大差はない(一部例外もある)。
男の名誉は近親の女性が貞淑であることによってもたらされる
人類学者の松井健は「女性に対する抑圧は、アフガニスタンにおいてけっして新しく起こった問題ではない。ターリバーン支配によって強化された側面はあるものの、アフガニスタンの地方や僻地においては、女性はつねに男性の支配下におかれていた」と述べる。松井は、「男の名誉は、自分自身の寛大さ、勇気、約束を忠実に守ることなどの自己の徳目によってえられるものと、女性の近親者が貞淑であることによってもたらされるものの二つがある」と記している。
このように、部族の掟はイスラームの信仰と強く結びついてきた(松井健『西南アジアの砂漠文化』462、624ページ)。