ロシア語でロシア人に語り掛けた大統領

最初に私がゼレンスキー大統領の演説に衝撃を受けたのは2月24日、侵攻前夜に、ロシア語でロシアの国民に向けて語りかけた言葉だった。

「あなた方の中には、ウクライナに行ったことのある人、ウクライナに親戚がいる人も多いでしょう。ウクライナの大学で学び、ウクライナの人々と親交がある方もいます。私たちの国民性、原則や大切にしていることもご存じでしょう。だから、どうか自分自身の声に耳を傾けてください。理性の声に。常識に。そして私たちの声に」
「私たちは異なる存在です。しかしそれは、私たちが敵同士になる理由にはならないのです」

目前にせまりつつある戦争を回避しようと、必死にロシアの人々に語りかける様子は、心に強く訴えるものだった。

ゼレンスキー大統領の母語はロシア語なので、ロシア語の演説は難しくはないかもしれない。だが、それにしてもこの演説は、とても綿密に組み立てられていると、カナダ人でパブリックスピーキングの専門家であるジョン・ジマー(John Zimmer)氏は分析する。

ジマー氏はブログの中で、演説にちりばめられた「あなた(あなた方)」と「私たち」という言葉は、聴衆との距離を縮める上で最も効果的だと指摘する。

この演説には、ほかにもさまざまな手法が使われている。例えば、以下の部分だ。

「私たちは、戦争など望んでいません。冷たいものも(冷戦)、熱いものも(熱い戦争:武力戦争)、ハイブリッドなものも」と、3つの言葉を並べて聴衆に訴えかける。

さらに、質問と答えを繰り返す手法も取り入れている。

「(戦争で)一番苦しむのは誰なのでしょうか? 人々です。こんな戦争を誰よりも望まないのは誰なのでしょうか? 人々です。これを止められるのは誰なのでしょう? それは人々なのです」といった具合だ。

また、最後に質問を投げかけて演説を終えると、聴衆に強く訴えることができる。演説の最後は、この質問で締めくくった。

「ロシア人は戦争を望んでいるのでしょうか? 私はこの問いにぜひ答えたい。しかし、その答えは、ロシア連邦の国民であるあなた方にかかっているのです」

アメリカ人に響く「民主主義」「独立」「自由」

ゼレンスキー大統領の演説には、「最も相手国の人々の心の琴線に触れる言葉は何か」が徹底的に研究され、盛り込まれている。

前述のハーバード大教授は、「演説に、聴き手が大切にしている『価値観』や『信条』が盛り込まれると、共感を呼び、心に響く」と言っていた。

アメリカ人が大切にしている言葉は、独立宣言や聖書に使われているものが多い。ゼレンスキー大統領がアメリカ議会の演説で使った「democracy(民主主義)」「独立(independence)」「freedom(自由)」も、独立宣言で印象的に使われる言葉だ。

独立宣言には「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と書かれている。ゼレンスキー大統領は、その心をよく理解していたに違いない。

写真=iStock.com/Lynn_Bystrom
アメリカ・サウスダコタ州のラシュモア山国立記念碑 ※写真はイメージです