グラフから見る「43歳」

もし、この二つの曲線を、x軸を年齢、y軸を実行力とする座標上に書いたら、つぎのようなグラフになるだろう(図表1)。

出展=角幡唯介『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』(集英社)

若い頃は経験値をしめす線(経験線)がしたで、生命力をしめす線(生命力線)がうえにあり、その差は大きい。しかし経験線が年齢とともに上昇する一方で、生命力線は下降するわけだから、両者のあいだの差はじわじわ縮まっていき、どこかの時点でまじわることになる。そしてこの交点をさかいに両者の位置関係は逆転し、経験線がうえにきて、生命力線がしたにくる。おそらくこの交点は四十歳か四十一歳あたりにくると考えられる。

この推察が正しければ四十二歳から四十三歳にかけては、上昇する経験線と下降する生命力線のあいだのひらきが大きくなりはじめる年齢ということになる。その後、加齢にしたがいどんどんひろがっていく。

このグラフが意味するものは、肉体にしばられた人間という生き物の悲しい現実だ。

ここまで論じたように四十三歳の冒険家は経験値があがり、いろいろなことが想像できるようになり、どんな冒険計画でも実現可能だというある種の万能感をいだいている。若い頃には到底思いもよらなかった大きな規模のことを思いつき、それを実行できる自信がある。思いつく計画はしだいにスケールアップするため、規模は大きくなってゆく。

「落とし穴」の正体

でも現実としての肉体は衰えはじめている。本人は衰えを認めたくないし、まだ十年前と同じ体力を保持していると思っている、というかそう信じたい。だから、まだまだ行ける、行けるはずだ、おれは……と過去の幻影にしがみつき、そのスケールの大きな冒険を実行することになる。その結果、下降線をたどりはじめた肉体が、拡大するおのれの世界に追いつかないという現実が待っている。そして遭難する。

上昇する経験線と下降する生命力線のあいだにひろがる領域は、冒険家にとっては魔の領域だ。この領域にはまると、衰えゆく肉体でスケールの大きな冒険を実行するわけだから、危険度が増す。先ほどのグラフでしめしたように、経験の世界は拡大膨張し、上昇線をえがくが、生命力のほうは下降線をたどりそれに追いついていかず、逆に年齢をかさねるごとに肉体と経験の差はひらく一方となる。すなわち、このゾーンが四十三歳の落とし穴なのである。

四十二歳という、まだ四十三歳ではないが四捨五入したら四十三歳みたいな年齢に突入している私は、すでにこの魔の領域に足を踏みいれていることを自覚していた。