「対話できない相手」には教えを乞う
ただ、例えばタリバンのような、自分たちのしていることがイスラム法において正しいと信じている人々と、女性の権利について話し合う対話はできるのでしょうか。そもそもそうした場合、相手側が対話を望まない可能性が高い。そのような状況で私たちはどうすべきか。
タリバンの例で言うと、私たちは自衛する必要があると思います。それは軍事介入をするという意味ではありません。軍事介入は相手を皆殺しにしない限り効果がありませんが、それは非倫理的です。ですから代わりにしなければならないのは、当面は彼らに対して自衛しつつ、私たちが正しいと理解している類いのことは正しいのだとできるだけ多くの人々を説得することです。
しかしタリバンに関しては、将来的に彼らに教えを乞うという形で会話を始めると状況が好転するかもしれません。タリバンに対する私たちの態度はただただ彼らは残虐だというものですが──実際に彼らは残虐ですが──、アフガニスタン国内に支持者がいるのだから何か良いこともしているはずだと考えてみるのです。
タリバンの6万人がアフガニスタン国民全員をただ支配しているだけではありません。地元の支持もあります。私たちが想像する以上に。ですから彼らがしている良いことは何かも理解する必要があります。あれだけひどいことをしているのに。
タリバンから教わること
タリバンを対話に招いて、私たちに教えるべきことは何かを聞くと想像してください。女性の扱いがひどい、これは事実ですが、そこから話を始めないで、あなたがたは自分が正しいと信じている、私たちに教えられることは何かとたずねるのです。彼らとの議論ががらりと変わるでしょう。彼らはこういう態度に慣れていないからです。
彼らは知恵を授けてほしいと招かれたことなどありません。私たちは彼らを野蛮な人間だとしてきました。そこで、彼らをプロパガンダのためではなく非公開の対話に招いて、私たちに教えられることは何かと語りかけると想像してください。
例えば、お茶について教えられることがあるかもしれません。私は(飲酒を禁じる)タリバンよりもよほどアルコールを摂取しています。たぶんタリバン全員を合わせたよりも飲んでいるんじゃないかな。不健康ですよね。ひょっとしたらタリバンは私に酒量を減らして健康になる方法を教えてくれるかもしれません。彼らに説得されたからといってワインや日本酒をやめるには至らないでしょうが、何かしら彼らから学べることがあるかもしれません。それによって状況が変わるはずです。