1月の冬空の下、関東村での練習を終えた野村はヒルトン東京の部屋に戻り、シャワーを浴びた。顔や髪に付着した砂が黒い水となって、排水溝へと流れていった。

野球人に戻れた証拠だった。

あすも早起きか。参ったな。

野村は幸福をかみしめていた。

プロ時代から重要視していた2月のキャンプ

「一年の計はキャンプに有り」

ヤクルト監督時代の野村語録の一つである。

野村はプロの監督時代からシーズンを戦い抜くにあたって、2月のキャンプを重要視していた。

ひとつ屋根の下、ナインは同じ釜のメシを食い、朝から晩まで野球に没頭する。首脳陣は選手個々の力量を見定め、勝てるチーム作りに向けての土台を築き上げる。

2003年2月1日。シダックス野球部はオーナー・志太が自らの故郷、静岡・中伊豆に建設した志太スタジアムでキャンプインした。両翼100メートルに中堅122メートルは東京ドームと同じサイズ。最新鋭の人工芝が敷かれていた。志太の野球愛と都市対抗制覇への強い意欲がうかがえる球場でもあった。

約3週間にわたって、野村やナインは隣接する同社経営の「ホテルワイナリーヒル」に宿泊する。関東村とは違い、室内練習場もある。野球漬けとなるには最高の環境だ。

「ノムラの考え」に書かれていること

野村のキャンプ名物といえば、プロ時代から夜間のミーティングである。

昼間は限界まで体をいじめ抜き、夜は座学で頭を鍛える。教材となるのはオリジナルのテキスト「ノムラの考え」だ。

現役時代から培われた戦術論や戦略論、データの活用法や心理分析などが網羅された指南書。阪神の監督時代に選手へと配布され、キャンプでの指導に使われてきた。

最初のページでは「お断わり」のタイトルで、自身がテスト生として南海に入団後、技術力以外の必要性を認識し、野球の探求、模索を志した経緯が記されている。

「この『ノムラの考え』は不器用な二流選手の話。屁理屈と思う人、興味のない人はご遠慮下さい」

太字で書いているのが、何とも野村らしく思える。

この指南書のユニークな点は、戦略や戦術よりも先に「人間的成長なくして技術的進歩なし」「『信』は万物のもとをなす」といった人生論についてまず綴られているところだろう。

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「いい仕事」をするためには技術向上だけではいけない

午後7時。前年とはひと味違った緊張感がミーティング室に充満する中、講義が始まった。

「我々の一日の中心軸は『仕事』です。仕事なくして人生は考えられません。我々の仕事は、結果至上主義の世界です。『いい仕事をする』『いい結果を出す』ためには、技術だけを磨こうという取り組み方だけでは、上達や進歩、成長は大して望めません。『専門家意識』を根底に持つことによって、知識欲や探求欲が旺盛になり、専門家として恥じない人間形成をしていくようになると思うのです」