死者の数だけ悲しみや苦しみがある

「震災当時、家族や親戚から支援がありましたか。それはあなたにとって、役に立ちましたか」という父の問いに対して、息子はこう答えました。

「ぼくにとっては、父と弟という家族の存在が何よりも大きな助けになりました。父は父であると同時に、母でもありました。震災で母を亡くした自分がなんとかここまでやってこれたのも、あの人のおかげだと思っています」

男性はその言葉を聞いて初めて、震災後の自分が肯定されたと感じたと言います。でも彼が震災時の話ができるようになるまで、20年の歳月が必要だった。彼の歩みを聞き、被災者に流れる時間の重みを考えました。

撮影=宇佐美雅浩
ノンフィクションライターの松本創さん

災害は発生した瞬間の衝撃や悲劇ばかりが注目されがちです。3.11でも津波の襲来や原発事故の映像に、みんなショックを受けて涙を流す。でも被災者にとっては、そこがスタートなんですよ。被災地では、消えることのない苦しみや悲しみを延々と抱き続ける人がいる。その長い時間と歩みも含めて、災害の実相だと思うんです。

――それは10年たったから、20年たったから、といって治癒する類いの傷ではないのかもしれませんね。

山川徹『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)

そう思います。

阪神・淡路大震災以降、災害関連死で5000人を超える人が亡くなった。被災地での「孤独死」も「災害関連死」もその数だけ、悲しみや苦しみがある。『最期の声』(KADOKAWA)でも5000通りの死のプロセスがあり、なにかひとつ対策をとったからといって、すべての人が助かるわけではない、と書かれていますよね。しかも被災してから数年たった死が、災害関連死に認定されるケースもある。

支援者も、われわれ取材者も長い時間軸で、被災地を見ていく必要がある。何よりも、ひとつひとつの人生に思いをはせなければ、支援も心のケアも、そして、取材もできないのではないかと思うのです。その意味で、災害関連死の遺族や支援者を各地に訪ね歩き、社会に伝える山川さんのご著書に敬意と共感を覚えています。

(聞き手・構成=ノンフィクションライター・山川徹)
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