「兄貴分」との偶然の出会い
父親の誕生日だった4月12日、フェイスブックに「店を辞める」という内容の投稿をした。すると、「なにやって生きていきたい? 直球でごめん」とメッセージが届いた。送り主は、砂町にあるラーメン屋「凛」のオーナー、國分義廣さん。
ふたりの出会いは、偶然だった。2012年のある日、砂町方面に納品に行った時にラーメン屋がオープンしているのが目に入った。もともとラーメン好きの大曽根は、ふらりと店に立ち寄った。そのラーメンに一発で惚れ込み、砂町に行った日には毎回食べに行くようになった。
オープン直後でまだ常連が少ない時期だったから、ひとりで店を切り盛りするオーナーの國分さんと、言葉を交わすようになった。たまたまウマが合い、間もなく國分さんは「兄貴分」のような存在になった。客として通う飲食店の店主と親しくなるのは初めのことだというから、よほど相性が良かったのだろう。
「店を辞める」と書き込んだ日、國分さんからのメッセージを読んだ大曽根が返信すると、國分さんから電話がかかってきて、会って話をしようということになった。
「凛」が閉店する22時過ぎ、店を訪ねた。そこで改めて「この先、どうするの?」と問われた大曽根は、「コメの配達で都内の道は詳しいから、タクシーか宅急便ですかね」と答えた。それを聞いた國分さんは、意外な提案をした。
「前に話したステーキ屋、やってみない? せっかくおいしいコメを出せるんだし」
頭から離れなかったステーキ店のアイデア
國分さんはしばしば、閉店後に自分の店で仲間たちとワイワイ過ごしていた。ふたりが仲良くなってから、大曽根もそこに加わるようになった。
その時に國分さんが「チャーシューを仕入れている肉屋から安く手に入るんだ」とよく振る舞ってくれたのが、ステーキだった。もともとイタリアンのシェフだった國分さんが焼くステーキは、「めちゃくちゃおいしかった」という。
國分さんには思い出があった。学生時代にアメリカに行った際、ボリュームのある1ポンド(450グラム)ステーキを安価で提供する「タッズステーキ」という店に通っていた。店でステーキを焼きながら、「あんな店、日本でもやれたらいいよな」と言っていたそうだ。
ステーキ屋をやらないかという想定外の話に、大曽根は戸惑った。確かに、コメをおいしく炊くことはできる。でも、分厚いステーキ肉をうまく焼ける自信はない。正直にそう告げると、國分さんは、ニコリとほほ笑んだ。
「大丈夫、教えるから」
兄貴分の言葉に心が動いたが、問題は場所だった。倒産によって、新小岩にある実家と併設されている松栄米穀の店舗も手放さざるを得ない状況で、新たにどこかで飲食店を開くのは現実味がなかった。